首都へ
「モスクワ、行く気はないかな?」
そう僕は、ジョゼファに聞いた。
いつも通り、家での夕食を終えて。
5月、初夏。
一度目の国際平和会議は、ハーグの地でまだ終わったばかりだった。
ペテルブルクでの呼びかけから9ヶ月。
ニコライ2世が提唱し、マルテンス外交官・法学者がまとめ上げたその会議は、ともあれ26の国を集めてはいた。
26ヶ国。
少ないようにも見えるけど、19世紀末の今は帝国主義の時代だ。
東南アジア諸国の独立までは半世紀が、アフリカの年までは60年以上必要なはずだ。
主な独立国は――つまるところ、列強と呼ばれる国々は――ほとんど参加していると言ってよかった。
中でも、毒ガスと残酷な殺傷弾頭の禁止は、100年以上後、僕がいた時代でも生き続けていた。
気球からの投下禁止は……これはまあ、ご愛敬と言うものだろう。
いくら理想を志してはいても、無いものを禁止にはできない。
飛行機の誕生までは、まだあと3年の間があるのだから。
このまま時が過ぎるならば、会議は文字通り、国際平和の先駆けとなることだろう。
――三度目の会議が、一度目の世界大戦で中止されつつも。