飲物
グルジアへの予期せぬ旅から1年と少し。
まだ僕は、自分のこと、将来にあるはずのことを言い出せないでいた。
元の――僕が暮らしてた――日時に戻れる目算も全くない。
そんな僕が何とかやって行けてるのは、雇い主、ジョゼファの優しさと、グルジアの気候だ。
19世紀末。ロシア帝国の版図はあまりに広かった。
中にはほとんどアジア圏に等しい、温暖な気地域もあるほどに。
北をロシアと大コーカサス山脈に、南をトルコに。
東をカスピ海に、西を黒海に挟まれたグルジアは、そんな地域でもあった。
雇い主に連れられ、食堂へ入る。
「いらっしゃい、ジョゼファちゃんユーリくん。何にする?」
「あたしはプレーンチーズピザとぶどうウォトカ。ユーリは?」
「僕はトマトと肉の香辛料煮と紅茶」
「はいよ」
注文を済ませひとまず飲み物を受け取り、テーブルにつく。
ワインもビールも、ここでは昼間からが珍しくない。
僕、ユーリはと言うと、アルコールではなくもっぱら紅茶なのだけど。
ユーリ・アリルーエワ。それがここでの、僕の名前だった。
1年と少し前、とっさに口をついたあだ名。
小型機械の電池が切れた今となっては、この名前だけが唯一、元の世界と僕をつなぐように思われた。
「じゃあ、乾杯ね」
「乾杯」
インドのそれとはまた違う、黒みがかったストレート紅茶。
僕はそれを、陶器製の小さなカップから飲み干す。
風味を楽しむそのたび、元の世界の記憶が薄れていく気がした。
ともあれ、まずは分かったことがある。
壊れない限り人は、どんな生活にもやがて慣れるものなのだ。
たとえそれが、郷里を遠く隔てた異国であったとしても。