歴史
1894年。
そう彼女、ジョセファは言った。
ロシア語やグルジアはまだいい。僕は考える。
どこぞの誘拐犯が、「やや、こいつは人違いだ」「仕方ないな、この辺に置いてくか」「カスピ海の藻屑にするよりマシだな、こいつも感謝感激だろうよ」となった場所がグルジアな可能性もある。
けれども、時代はどうだろう。
「ごめん、ちょっと待って……」
「1894年よ」
さすがに不審げに、彼女。
「1894年、なんだ」
「ええ」
1894年。
日清戦争が始まりドレフュス事件が幕を開け、ニコライ2世が即位した年。
ジョン・フォードが生まれオルダス・ハクスリーが生まれ、もちろんルイ=フェルディナン・セリーヌが生まれた年。あとは誰だろう、リヒトホーフェン兄妹と江戸川乱歩、ルドルフ・ヘス辺りもそうだった気がする。
いや、歴史の話は今は置こう。
目の前の子は僕に対し、特に敵意はないらしい。
これはたぶん、僕の身長も関係しているだろう。
163cmの60㎏少々。
無害な見目に作り上げた亡き親たちに、少しだけ感謝しなくもない。
僕の素性はともかく、しばらく働かせてもらうくらいは頼めるかも知れない。
となれば、少しは“状況”のことを考えるべきだろう。
僕のいたはずの歴史、つまりは仮定に過ぎないと知りつつ、僕は考える。
抗生物質もインスリンも、ステロイドもまだない。天然痘は年に数百万人を殺し続け、ほんの十数年後には、スペイン風邪ことインフルエンザによる一千万人単位の死も控えている。なによりこの地、都会とはとても言いがたい山の麓に、どれだけ最新の――つまりは19世紀の――資材があるだろう?
そうだ、麻酔は19世紀半ばの最新だった。ひとまず、馬車との交通事故には気を付けた方がよさそうだ。
そこで僕は、ある"歴史"に気付いた。
礼を失さぬよう、そっと彼女の顔を見る。
ジョゼファの頬は、綺麗なものだった。
「……!」
純粋に。伝記的事実として。
ジョゼファ・鉄の女には、痘痕が残っていたとされる。
幼少にかかったとされる、天然痘の跡が。