交差
――交わることのない、もう一人についても軽く触れておくべきだろう。
ほかでもない、ロジェストヴェンスキー提督のことだ。
提督は言い訳しなかった。
戦後開かれた、ロシアの軍事法廷でも。
――すべての敗戦の責任は私にある。
――私の部下たちは命令に従った。
――決して、部下たちに責任はない。
そんな訳はない、と僕は思う。
わざわざ地球を一周させて、艦隊を戦わせた。
それも、劣悪な補給のままに。
仮に責任があるとして、ひとり提督の責とは思えない。
それでも罪があるとすれば、間違えたことだろう。
仕えるべき相手を間違えたとの。
けれども、役割を知っていたとは言えるかも知れない。
敗戦の責任という、生け贄の羊の役割を。
後に海軍公文書館へ収められる手紙には、こう書かれているはずだ。
――ロシア国民は私を罰した。
――問題は今や、私を罷免するか留任させるかではない。
――首吊り刑にするか4つ裂き刑にするか、である。
提督はしかし、結局は無罪となる。
ほか4人に下った死刑判決も、減刑嘆願が通り禁錮10年へ。
服役した将校たちは、1909年中に恩赦が言い渡される。
この頃にはもう、対馬の話はされなくなっていた。
それどころではない雰囲気が、ロシア各地を支配していたからだ。
いつどこで次の反乱が起こるとも知れない。
そんな、いつになく張り詰めた空気が。
しかしながら、提督が恩赦を見ることはなかった。
その先の、ロシアの行く末を見ることも。
1909年1月。
戦争中に受けた傷が遠因となり、提督は亡くなる。
――失意の内に。
そうとまでは、今でも言いたくない。
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