想像
どちらともなく、やがて手を離した。
どちらが強く握ったでもない。
互いの右手は、程なく元の温度に戻っていく。
「……こちらも、ひとつだけ良いですか」
「何なりと――こちらが出来る範囲ならば」
見逃すはずもない、先程の僕の返答方法だ。
冗談を冗談と受け止め、軽く笑みを返し。
そのまま、僕は言葉を加える。
「分割して頂きたいです」
「何をだね」
「無論、小切手を」
十中八九、受け入れられる提案ではある。
けれども、それだけに適当はできない。
余興とも言える時間は、一種の試問でもあるはずだ。
「額が額です、一度に使うには多すぎる。と言って、現金として持ち運ぶ訳にはいきませんから。それに」
「それに?」
「この額を引き出すともなれば、どうしても噂が立つ……顧客が顧客であっても、です」
人の口に戸は立てられない。
むろん、数秒で世界を駆け巡るほどの速さはない。
けれども、持続の面ではどうか。
TVはもちろん、ラジオも無いに等しい。
今はまだ、娯楽が少ない世なのだ。
噂の持つ力を、決して甘く見る訳には行かない。
「ふむ――この手の額を扱かったことは?」
「小切手ではありません。ゆえに、純粋に想像力の問題です」
「良かろう。君の言う通り、取り計らうとしよう。しかし、想像力、か――」
老宰相は少しだけ遠くを見つめる。
「想像力。それを 皇帝 が持っていれば、私が出るまでもなかっただろうな」
――そうかも知れない。
戦争さえなければ、決定的な出番もなかっただろう。
形式的な敗戦国として、アメリカの港町まで出向くことは。
「……言っても詮ない事です」
「今さら、臣下の儀礼は不要だよ」
「単なる事実です、儀礼を払ったつもりはありません。それに」
率直な意を、僕は述べる。
「……取り返しはつかない。こう言った方が、無礼にあたるかも知れません」




