34/350
通行
「――おや、勉強かな? 面白いかい?」
そうロシア語で話しかけて来たのは、先程僕が新聞を渡した男だった。
人当たりのいい、どこにでもいそうな中年男だ。
僕はほんの少しだけ、手にした辞書の中身、グルジア語について考える。
共通言語ではない、ほとんど未知の言語。
僕にとってはほとんどの場合、知らないことを学ぶのは楽しいことだ。
楽しいことは楽しいけれど、揺れる馬車でもそうだとは言いがたい。
なので僕は、問いかけへ応えることにする。
「ええ、まあまあですね」
当たり障りのない答え。
男にしても、深刻な話がしたい訳ではないだろう。
乗り合わせたあいだの、他愛もない世間話。
目的地までの時間が同じなら、その間の暇は短い方がいい。
「そうか。若い人はいいな。たっぷり時間がある、存分に学ぶといい」
聞く限り、綺麗な発音。
こう言ってよければ、都会に暮らす人間のそれだった。
つまり、字を読めてもそれは当たり前であり、ある日に熱を出した子どもが朝に死んでなどいない地域の。