助言
「酔いを覚ますか、あるいは酔いを足すか。結局のところ、それは君次第だ――その歩み全てを、私が見届けることはないだろうがね」
老宰相は既に五十半ばだ。
まだそんな歳では、と数字を聞けば思う。
どうにも、元の世界の知識に引きずられて仕方ない。
僕を射すくめる眼光。その上の髪には、はっきり白が混じる。
座りながら伸ばしたはずの背は、もはや真っ直ぐとは言えない。
麻酔も消毒法も、ほんの数十年前に発明されたばかり。
必然、まともな手術などまだ手探りだった。
心臓はおろか、胃潰瘍でさえ切らずに治すしかない。
誰であれ、人を切ってはならない。
なぜなら、どう戻せばいいか分からないのだから。
そしてこの知識は、知ってさえいれば、言えば分かる類のものではない。
56年は確かに、まだ長生きとまでは言えない。
それでも。
今このとき、相応の歳とは言えた。
「ともあれ、敢えて付け加えるとすれば、だ。ひとつ、覚えておくといい」
「……想像力を、とでも?」
「そう言ってしまうと、少しズレるだろうな」
一息を置いて、老宰相。
「――見ること。希望も願望も憶測もなく、ただ在るがままに物事を見ることだ――それが存外難しいと知ったのは15年前。やっと、四十を越えてからだがね」
そう早いとは言えないとの、それは仄めかし。
確かに、その通りだ。
歳を取るのは、僕が思っているよりも早い。
身体が丈夫というだけでは、長く生きることはできない。
1905年。
この時代に、長く生きるということ。
70年80年を生きる者は、よほど運にも恵まれている。
「覚えておきます」
ごく素直に、僕は頷いていた。
むろん、相手が僕の行く先を知ることはない。
それでもなお、頷くのが自然な気がして。
「ありのままに、何もかも見ることを……それが可能である限りは」




