飛行
気球とも飛行船とも違う、いまだ完成せざる乗り物。
それが19世紀末の飛行機だった。
恐らくはまだ数人しか為し得ていない、空への旅。
それはほとんど、20世紀に月や火星におもむくのと変わらなかったはずだ。
そしていつの時代も、――古代でも大航海時代でも――きっと各々の憧憬があったのだろう。
とは言え。
今のところそんな冒険に縁がない僕は、ごく普通の個人同様、地道な手段で移動する他なかった。
具体的には徒歩か、それとも馬車かだ。
「――それ、いいか?」
馬車の右隣に座る男に促され、僕は回し読みされている新聞を渡す。
男は無言で肯き、一面を飛ばし雑多な中身から読み始める。
一言で言うと狭い。
そんな中、獣皮の匂いと人の汗が漂っている。
新聞を派手に広げられると厳しいが、特にそうではない。
その点に関して言えば、ありがたいと言えばありがたかった。
人だけでは無理な距離を運ぶこと。
馬車とはつまり、そう言うものなのだ。
料金も乗り心地も問うものはいない。
耐えられないなら移動できないか、余計に時間がかかるだけ。
本当に、ただそれだけのことだ。
燃料で動く機械馬車ができるのは、まだほんの少し先のことだった。