緩やかさ
最後まで戦わずしての降参。
そのままであれば、誘いに乗っていたかも知れない。
けれども、そうなることはなかった。
不意に泣き声が聞こえたからだ。
絞り出すように張り上げた、容赦ない、赤子ならではの声が。
「一時休戦、ね」
その声にはわずかに、悔しさが交じるように思えた。
「上手くあやしたつもりでも、こう言うことはある。――いいでしょ?」
「う、うん。ただ」
「この続きはすぐ受ける。それは約束するわ」
言い方に迷いがない。
こういう事に慣れているのだろう。
そう思わせるだけの口調だった。
「もっとも――きちんと泣き止んでくれれば、だけど」
誰であれ、泣く子には勝てない。
極めて簡潔な理屈だった。
声は止まない。
慣れないこちらとしては、いくぶん不安になる。
「大丈夫、かな……?」
「お腹が空いてるだけでしょ」
「分かるんだ」
年端も行かない、この子であっても。
ならば、と僕は思う。年端の行った子供なら?
何か察するのは、ほとんど造作もないことだろう。
「空いちゃったから」
「何が?」
「お昼の授乳。乳母がちょっと遅れて、ね。お陰で哺乳瓶のお世話よ」
「それって粉ミルク……かな?」
首を縦に、肯定。
しばし思案し、思い起こす。
製品として存在してても、だ。
栄養の完備は、まだこれから先のことだろう。
「可能なら、だけど。できるだけ母乳を使うといいよ」
「ふうん?」
「栄養にもいろいろあってね。この時代の粉ミルクだと、足りないものも多いから」
「なるほど、覚えておくわ」
言って、かたわらの赤子に手を伸ばした。
首と胴体に手を回すと、不思議と少し、鳴き声が穏やかになる。
「――少しだけ、この場を外す。そうね、10分。そちらは、それで足りる?」
「……足りると思いたいね」
それを肯定と受け止めたのだろう。
赤子をそっと抱え、彼女は一度、部屋を後にしていく。
遅れてドアの閉まる音。
「――助かったよ」
思わずこぼれたのは、偽りのない本音だった。
ともあれ、僕は助けられたのだ。
すんでの所で。
言葉をまだ、話すでもない赤子に。




