仮定
理屈ぬきの信頼。
あり得たはずの事が、この時ひび割れた気がした。
それは今まで、ついに感じたことのない思いだった。
寂しさと不意の困惑とが、同時に僕を襲ったのだ。
――もし、あのとき、彼女が何も話さなければ。
僕は果たして、勝負を挑んでいただろうか。
あるいはそのまま、ぶつからずに済んだのではないか。
思い出していたのは、言葉だった。
ロシア語でも日本語でもない、ドイツ語の言葉。
ダス・ライヒ・デア・ツヴァイ――「二人の国」。
それはもはや、存在しない幻でしかないと言うのに。
「信じてくれて、ありがとう」
幻と化したのは、いつの事だったのだろう。
ペテルブルグで別れたときか。
僕が流行病に襲われたときか。
それとも、最初からそんなものは。
自由にならない腕に、心持ち力が入る。
――ともあれ、だ。
このときの僕は、既に挑んでしまったのだ。
「育児で疲れてるよね、手っ取り早いゲームにしよう」
「ええ、助かるわ」
「どんなものか、僕が決めても?」
「提案は任せる」
ともあれ勝負を、ほとんど聖女めいた相手に。
「分かった。じゃあひとまず――トランプ、持ってくるよ」
そうして僕は、一度部屋を出た。




