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離乳
部屋奥の寝床、かたわらには小さな瓶が置かれている。
縦長のささやかなガラス製品は、吸う部分こそ裸でも、ひと目で哺乳瓶と分かる。
中身は見当たらない。先程まであげていたのだろうか。
物思いをよそに、寝床にそっと、赤子が横たえられる。
部屋を満たす、小さく静かな吐息。
寝かした子を起こさない、いかにも慣れた手つきに見えた。
その手つきに、不意に思い出すことがあった。
「――離乳食はどうしてる? ハチミツとか、使ってたりする?」
振り向いた彼女は、わずかに考える顔。
「使ってないわ」
「それならいい。一応言っておくと、あれ、小さい子供にはあげない方がいいよ」
「理由を聞いても?」
「細菌、あまりよくない類の微生物がいる。大人では大丈夫でも、小さな子供は危なくなることもある」
どこか計りかねていた顔が、納得に変わった。
少なくとも、こちらの意は伝わったらしい。
「――ありがと。覚えておくわ」
垣間見た素直さに。
ほんの少しだけ、穏やかな思いがした。
これから挑むつもりの勝負に、ひどく似つかわしくない思いが。
 




