上陸
「人正……いや、待っている、とだけ言えば伝わると。場所は二階の奥に」
「――分かった。ありがとう」
手洗い横の古ぼけた階段を、僕は上がることにする。
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港への出迎えそのものは予想していた。
何しろインドシナ以来、久方ぶりの上陸なのだ。
上陸しない選択肢、つまり補給なき航海などあり得ない。
そんなことをすれば、不満で航海そのものが不可能になるだろう。
不遇を黙って看過するほど、ロシアの船員はお利口ではない。
食事に腐ったボルシチでも出されれば、たちどころに反乱が起きるはずだ。
この艦隊にもはや、余裕などない。そんなものは、とうの昔になくしていた。
航海ルートならまだしも、寄港地の予想そのものは――ロシアの上層でなくとも――そう難しくないはずだった。
この状況で僕が上陸したなら、十分に出迎えはあり得る。
そう思ってはいた。
――けれども、こう言う形は予想していなかった。
上陸当初こそ静かなものだった。
夕刻の港町、あらくれた船員たちの飲み場。
誰ともなく始まった会合には、特に言うことはない。
ある者は酔いつぶれ、ある者は次へと向かいだした頃、その再会は待っていた。
僕にそっと近づき、酒場の主人は言う。
「人正……いや、待っている、とだけ言えば伝わると。二階の奥だ」
「分かった。ありがとう」
促され教わった個室に、その姿はあった。
古ぼけたドアノブを、自由の利く右手で回す。
かすかな軋み音が、ドアから響く。
――虚勢を張ってみたところで、内心の動揺は隠しがたい。
また、動揺を隠せる相手でもない。
それでも張るのは、何かしらの意地だった。
その意地が、相手にとっては無意味なものだとしても。
「久しぶり、無事みたいね」
無事どころじゃない。
片腕は相変わらず自由にならず、頬の裏や向う脛はしばし痛む。
主に栄養不足から来る、満身の創痍。
繰り返すが、それを見逃す相手ではない。
そこまでなお承知の上で、僕は答える。
「――こちらこそ、ジョゼファ」
 




