彼ら
彼ら。
僕がそう呼ぶのには理由がある。
ことさら彼我を区別したい訳ではない。
単に彼ら一人一人の名前を、僕は知らないからだ。
名前は無論、背景もよく分からない。
分かるのは地元の漁師たち数十人だったと言う、ただそれだけ。
知る機会をそのまま、僕は逸してしまった。
いま何か調べれば、痛くもない腹を探られかねないのだから。
だから僕は、彼らを彼らと呼ぶほかない。
――残せる範囲で、この先のことを記そう。
僕らに死人は出なかった。
一見当たり前の話に聞こえるかも知れないが、重傷者は出ていた。
漁師たちからの攻撃ではない、夜闇での砲撃による同士討ちで。
何ひとつ命令が出ぬ内に、砲弾は500発放たれていた。
内1発は司祭室に飛び込み、司祭の手足を片方だけ持ち去った。
混乱が去ったのはようやく、夜が開けてからのことだ。
物笑いとの言い回しが、否応なく思い浮かぶ。
仔細が判明したのはほぼ一週間後、寄港地ビーゴ湾でのことだ。
マドリードから持ち寄られていた新聞に、英国の様相が記されていた。
すなわち、北海にて漁船団が衝突し沈められ、世論は怒りに湧いていると。
同時に、首謀者たる艦隊を糾弾する措置を行うであろう旨も。
いかに戦争相手の同盟国とは言え、真正面からは得策ではない。
同時に英国も、これから疲弊するであろうロシアと今やる必要は……と考えたようだ。
英国のその推測は、嫌になるほど正しい。
ともあれ妥協が決まれば、後は本国、外交官の方の仕事になる。
謝罪と補償は終わり、くたびれた船は行く。
――あたかも、何事もなかったかのごとく。
何十人と民間人の死者が出たにも関わらず。
何事もなかったかのように、航海は続いた。
それでも。
後悔は人をさいなむ。
ことにそれが、取り返しのつかない事ならば。
彼らは。
あるいは僕が見張りに立っていれば、彼らは生きていたのだろうか。
今頃は孫子をあやし、昔日に思いを馳せてたのだろうか。
彼ら。
彼ら一人一人の名前を、今もって、僕は知らない。




