夜
夜。
その日の僕は非番だった。
調理当番のことではない、夜間に海を見張らなくて良いと言う意味だ。
レーダーもソナーも、この地上にまだ存在していない。
もちろん、無からそれを錬成できるほど、僕が詳しい訳でもない。
ゆえに、見張りは目視、人による監視となる。
言い換えるならば。
補充の人手は、数合わせでもそこそこ機能する。
戦力要員に対する、少しでもの疲労軽減。そう頼まれたなら。
建前は一介でしかない乗組員が、断れるはずもない。
その程度のことは、さすがに分かるようになっていた。
その見張り当番も今夜はない。
これでよく眠れたなら、言うことはないはずだった。
20世紀初頭。
航海中の壊血病は、自然に治るでもない。
補給に乏しい、海の上の旅路。
そこに果実も野菜も乏しい以上、必然として病は、時が経つにつれ悪化するしかない。
そしてこの内出血とあざの鈍痛には、なかなか慣れることが出来ないでいる。
よく眠れたらなら。
これでよく眠れたなら、何も言うことはない。
そうでないから、僕は食堂にいるのだけど。
「――昼間みたいなことが知られてみろよ、世界中の物笑いだぜ」
テーブル越しに彼、話し相手の青年は言う。
互いに名乗ったことはない。
聞けば答えるだろうし、探るののも容易なはずではあるけれど。
それでいいと、僕は思っている。
「まあ、それはそうかも知れないね」
確かに、物笑いだろう。
ありもしない敵影に向けて、派手に大砲を撃ったと来ては。
けれども。
物笑いにも背景というものがある。
勝ち戦の旅路であれば、それは愛嬌で済む。
勝利には、それだけの強さがある。
――艦隊が本当に、勝つことができたならば。
「と言っても、誰かが言い出すとは思えないけど」
私たちは道化師です、と言い回るようなものだ。
僕にとっては、ちょっと考えづらい。
もっとも、彼の方は違う意見のようだった。
「いや、軽いやつはいくらでもだ。おいしい話って奴ができるなら、さ。それに、悪い噂は走る、て言うぜ」
他愛のない応酬。
眠れない僕にとって、悪くはない時間。
――その日の夜、僕は非番だった。
あるいは、と僕は思う。
僕が、比較的に冷静だった、僕が当番であれば。
あるいは、彼らは死ななくて済んだのではないか。
そして僕らは、汚名を着ずに済んだのではないか。
その日の夜、僕は非番だった。
それが幸いと言っていいのかどうか。
今もって、分からない。




