予兆
「――船内の噂について、なのだが」
噂。
正直な所、察しかねる話だった。
順調ならざる道行きゆえか、噂が多すぎるからだ。
そもそも航海など、まだ迷信を浮力にする行為なのだろう。
探りを入れる話しぶりに、僕は答える。
「いま駆け引きは不要ですよ。僕はともかく、そちらは忙しいはずでしょう」
頭役の判断が鈍るのは困りものだ。
海の上では、ともあれ一蓮托生なのだから。
「では、遠慮なく」
提督は一口、紅茶に口付ける。
「日本人が当艦隊を見張っているとの噂、あれは君たちの仕業かね?」
君たち。
真正面から問われたことはない、けれども、互いに察してはいる。
船内に、穏当ならざる分子がいるのだと。
それでも、僕らが追放されるでもない。
なぜか。
提督の目的:ひとまず、日本海にたどり着くこと。
僕らの目的:帝政ロシアを打倒すること。
ただでさえ練度の低い艦隊だ、まともな人員が抜けてはたまらない。
たとえ、少々のマイナスが合ったとしても。
勝敗はともかく、まずたどり着かなくては話にさえならない。
――そう、ゴールが正反対でさえなければ、同盟は成立し得る。
「いえ」
素直に、僕は首を振る。
常日頃から嘘をつくよりも、いつもは素直な方が手間は省ける。
「少なくとも、僕の仕業じゃないですね。念のため、確認しますか」
「いや、それには及ばない」
コップを置き、一息。
本当に忙しいのだろう、頬もこけて見える。
「ガセなのは分かっている。向こうにしてみれば、欧州から張るのは費用がかかりすぎる」
「なら、気にすることは――」
「そこは意見の相違だ。疑心暗鬼に過剰反応されては、指揮者として愉快ではない」
過剰反応。
たとえば、規律の乱れ。
たとえば、無関係な船舶への攻撃。
たとえば、耐えかねての反乱。
なるほど、と僕は思う。
これ以上の不確定要素は、愉快でないに違いない。




