名付け親
「久しぶりね、ユーリ。聞こえてる?」
手にした受話器の向こうから、女性の声が聞こえる。
僕は送話器に向かって、心持ち大きく声を出す。
「聞こえてるよ、ジョゼファ」
ひとまず、彼女は元気そうだった。
かすみがかった音と不釣り合いな料金。
市庁舎に、つまり南シベリアに開通したばかりの電話は、つまるところ贅沢品だ。
そんな代物であっても、6000㎞ほど先――首都ペテルブルグの様子を伝えるには足りる。
「久しぶり。元気みたいだね」
「そっちもね。ああ、そうそう、子供が出来たみたい。名前、考えておいてね」
なるほど、と僕は思う。
赤子にはまだ名前がない。
だから必然、名付けを行う者、名付け親が必要だ。
名付け――親?
「ええっと……子供って、人間の?」
一瞬の、何を言っているのかという沈黙。
こんな電話でも、その機微まで伝わるものなのか。
あるいはそれとも、ともに過ごした年月の賜物だろうか。
「犬や猫なら勝手につけるでしょ」
確かに、その通りだ。
僕は思い返す。
覚えはあるものの、時期からはだいぶ外れる。
――となると。
複雑ではあるけれど……いや、彼女が決めたことなのだ。
流刑中の僕はあるけど、何かしら、力になりたいと思う。
「まずは、おめでとう。ええっと、その、言いにくいならいいのだけど……父親は?」
「……? 何を分かり切った――ああ」
今度は、得たりという風に間が空く。
「父親は皇帝陛下よ――母親は、その妻」
もちろん、皇后が変わったとの話は聞かない。
そんなことがあれば、いかに南シベリアのイルクーツクと言えども伝わって来る。
「じゃあその、母親は……皇后陛下?」
「ええ」
「……なるほど」
確かに彼女は、私のとは一語も言っていない。
追い打ちをかけるように、彼女は訊ねてくる。
「残念だった?」
「……ちょっとだけ、ね」
互いに身寄りのない間柄の、もう一人の身内。
それは決して、悪くないことのように思われた。
――僕らが暮らすロシアが、この先も平穏であるならば。
「まあ、そちらは上手くいってるみたいだね、それも何よりだよ」
帝国の世継ぎになるかも知れない、子供の名前。
たとえ候補を挙げるだけとしても、近しい間柄での話題には違いない。




