母と娘
玄関口まで出て、僕はドアノブに手をかける。
「はい、どちらさまですか?」
「――ツヴェターエワです。そちらにマリーナはお邪魔してませんか?」
取り立てて高くもない、静かな女性の声。
そこまで聞いて、僕は鍵を解いてドアを開く。
短髪の中年女性。他でもない、マリーナの母親だ。
「おはようございます。ええ、いますよ」
「ああどうも先生。本当にもう、済みませんねえ……」
「いえいえ。セルゲイさんと二人で、にぎやかになってたところです。――っと、ここでは寒いでしょう、ひとまず中にどうぞ」
「いえ、それには及びませんよ。――マリーナ!」
よく通るいい声だった。
慌てた様子で、ぱたぱたとマリーナが駆けつけてくる。
口の端にはジャムがついたままだ。
「なあに?」
「何じゃないですよ、朝から。お勉強の日にちはもう少し先でしょう」
「でもジャム、おいしかったよ?」
これには思わず笑いがこぼれた。
もっとも、それは僕だけだったのだけど。
「あまりたびたびお邪魔するもんじゃありません。本当に済みませんねえ先生」
「いえいえ、賑やかなのは歓迎ですよ」
少なくとも、これは本心だった。
とうに父母の亡い僕には、もう縁のないやり取りなのだから。




