老革命家
外に出る。
「寒っ」
何度味わってみても、この寒さにはなかなか慣れない。
同じ氷点下でも、空気が乾燥していると比較的ましだ。
けれども逆に、湿気があるとかなりつらい。
具体的には、1,2度辺りからグッと冷え込んだ日が一番ひどい。
目一杯に湿度が上がっていて、水分はちょっと遠慮したくなるくらい寒さを運んでくる。
押し売りもいいところだけど、断っても無言でサービスしてくれる辺りがちがう。
「――おお、ユーリさん。今日はなかなか早いですな」
「あ、お早うございます、セルゲイさん」
防寒具の合間から、白髪と白髭がのぞける偉丈夫。
十二月党員の乱に参加し、この地に追放された。
老革命家を名乗るこの隣人は、以前そう話していた。
――もっとも、帝政転覆を企んだデカブリストの乱は1825年。
今、1902年1月から数えて、もう76年は前の話だ。
さすがに「参加していた」とのそれは、ホラに近いと思う。
せいぜいペトラシェフスキー事件だろう――そう思いかけて、あの事件の年代を思い出す。
1849年、12月。こちらももう、ほぼ52年前だ。
52年前の事件。
銃殺刑を宣告された、ペトラシェフスキーを始めとする二十数名。
銃が向けられ刑の執行直前、シベリア流刑へと減刑された彼ら。
その中には当時28歳の若手作家も含まれていた。
彼の名は、フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーと言う。




