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予兆
“いろいろな人の行き来する場所”。
島国に住んでいた僕にとって、この言い回しを察するのはむずかしい。
ロシアを北に、トルコを南にする土地。
カスピ海と黒海に挟まれ、コーカサスの山々を抱く地。
19世紀末、ロシア帝国の一地方とされた今でも、その複雑さは失われてはいない。
もちろん、僕がいた時代――20世紀も10年を過ぎ、四半世紀以上に渡る独立を保っている当時――でもそうだ。
けれども僕は、今の今までその機微を察しかねていた。
知識の問題でもなければ、たぶん想像力の問題ですらない。
ひとときの旅ではなく、実際に暮らしてみなければ痛感できないことはあるのだろう。
“いろいろな人の行き来する場所”では、余所びとの持つ意味合いも違うのだ。
余所びとが珍しくない、だからと言って融和と歓迎があるとは限らない。
時と場合によっては、警戒が先立つこともあり得るのだ。
――ことに、戦争が終わり“次”のことがよぎる今となっては。
彼女の持って回った言い回しは、つまりそう言うことではなかったか。




