流刑
冬季はマイナス40度未満に至る、極寒の地。
シベリアはあくまでシベリアであって、まかり間違ってもハワイやグアムではない。
少なくとも、ここ数百年はそうだ。
高杉一郎、石原吉郎、長谷川四郎。
悲しみつつも読み込んだ、まだ書かれざる本たち。
描かれた白き凍土の印象は、僕に深く刻まれている。
そんな文たちが違うだなんて、果たしてあり得るのだろうか。
いくら考えてみても分からない。
少なくとも、僕の知識の範囲では。
そして面子にこだわる趣味は、今の僕にはない。
「そう言われても、ね……」
「――ユーリの持つシベリアの印象、言ってみて?」
「……吹雪と、氷点下を余裕で下回る気温と、強制労働」
「でも、実際に行ったことはない」
「そりゃあね」
シベリア抑留にしてからがそもそも、僕が生まれる前の話なのだ。
僕がまた20世紀にいるのは、何かのいたずらに過ぎない。
「じゃあ、その印象はどこから来たの?」
「どこって、そりゃあ1950年代辺りから出始めた――」
抑留から帰還した人たちの書物に決まってる。
そう言いかけて、僕は気付く。
「――あ」
「じゃあ、それが書かれた当時の政治体制は?」
「革命後のロシア……です」




