普段
あらためて、サラダをフォークで口に運ぶ。
角切りじゃがいも・にんじんの歯応え、マヨネーズのまろやかさ。
炒めた豚角肉からこぼれる肉汁。
そして後味、かすかなピクルスの酸味。
ありふれた材料からつくられる、複雑なおいしさだ。
個人的には練りからしも入れてみたくなるけど、この場に無いものは仕方ない。
マスタードは……合うことは合いそうだけど、酢が入っている分だけ辛さはやわらかい。
イクラのオープンサンド。
黒パンの酸味にバターの甘さ、イクラの塩味がよく合う。
故郷のイクラに勝るとも劣らない、贅沢な味。
もし乗せるのが、醤油漬けだとどうだろう?
試せる機会があったら、試してみたくなる。
黙々と、僕たちはフォークと手を動かしていく。
食事が淡々と進むのは、いつものことだ。
目の前に何かが差し迫っていてもきちんと食事をするのは、それが普段通りの行動だからだ。
健全な精神は健全な肉体に宿る――若干の皮肉と共に、そんな言葉も思い出す。
健全、の定義はひとまず置くとして。
仮にそう信じるなら、左腕の自由が利かない僕は、どう転んでも健全でない精神の持ち主と言うことになる。
一切信じていないし、決して信じる訳にもいかない考えだ。
健全な精神は、健全な肉体に宿るとは限らない。
けれども、こうは言える。
冷静な精神は、冷静な行動――普段通りの手順に宿るのだと。
どんなときでも、普段通りに食事をとること。
これもまた、備えの一形態。
……もっとも今日に限って言えば、心持ち食べ方が早くなってはいるのだけれど。




