証拠
証拠もあり、居場所もつかまれている。
ならば、この問いの意図は何か?
おそらくは、容疑者が“協力的”か否か、だ。
いくら職務に忠実でも、面倒は面倒にちがいないのだから。
となると……質問を返した僕は、ほんの少しだけ失敗したかも知れない。
それにしても、と僕は思う。
この時代の尋問とは、いったいどう言うものなのだろう。
取り調べる側は有罪を確信していて、当然証拠を知ってもいる。
となると、密室の尋問でどう言うことが起こるか。
繰り返される「本当はどうなんだ」「記憶違いじゃないのか」の果てに、容疑者は容疑を観念して認める。
証言はもちろん、事実と矛盾しないよう整えられている。
そうして得られた自白は、とりもなおさず決定的な証拠となる。
第三者が検証できない取り調べなど、しょせんはその程度のもの。
……つまるところ、尋問とは型通りの儀式でしかない。
一度にらまれたら最後、と言うことだ。
そして少なくとも僕は、無駄なことに労力を費やさない主義だ。
たとえば、「話せば分かる式の説得」や「意地を残すための抵抗」と言ったことには。
けれども。
ここまで察していれば、少しだけ話は違う。
素直に受け入れたなら、一時的かも知れないけど凄惨な事態は免れる。
ルール内での妥協。僕の郷里で言うところの談合に近い。




