発展段階
今さらのように、僕は嘆息する。
知識とは……いや、知識の技術への落とし込みとは、こんなにも厄介なものなのか。
レオナルド・ダ・ヴィンチは、ヘリコプターを実用化できなかった。
チャールズ・バベッジは、コンピューターを動かすに至らなかった。
と言っても、当人の能力が足りなかった訳ではないはずだ。
資金、つながり、当時の技術。
言ってしまえば外部、つまり運の要素も大きかったのだろう。
……かえすがえすも、小型機械の使用不能が悔やまれてならない。
もし仮に、wikipediaのひとつでもダウンロードしていれば。
正確とは限らないにせよ、おおまかな足取りはつかめたはずだ。
ひるがえって、今の僕はどうか。
宮廷の片隅、しばしば機構がからみつくタイプライターでの書類作業。
もちろんと言うべきか、ロシア語への――つまりキリル文字への――対応はまだ、ない。
……そう言えば、日本語のタイプライターができたのは20世紀も後半、確か1970年代のことだった。
技術の不足は、言っても仕方がないことだ。
でも、さらにその上で。
都会の富裕層か知識階級でない限り。
それも多くの人が使う言語圏でない限り、すぐには発明の恩恵を受けられない。
何とも、ままならないものだ。




