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文学賞
今の僕の懸念は、大きく分けて二点ある。
ひとつは僕の知識が、いつどこまで当てになるか分からないことだ。
たとえば、来年に発表されるはずの第一回ノーベル賞。
その文学賞がアントン・チェーホフに決まるまでには、幾多の紆余曲折があったという。
そう、1900年の今、レフ・トルストイもヘンリク・イプセンも(もちろんクヌート・ハムスンも)まだ存命なのだ。
綺羅星めいた文学者たちから選ばれる、たった一人の受賞者。
何かのはずみで受賞者が変わることも、十分あり得るだろう。
……いや、これが文学賞だけの話ならまだいい。
僕の関与で何か、悪い方向のはずみがおこったなら、それこそたまったものではない。
もちろん、杞憂で済むに越したことはない。
けれども、あまり甘く考えず、外れたときのことも考えておくべきなのだろう。
そしてもう一つ。
それは、僕の知識そのものの問題だ。
より詳しく言うなら、僕の知識の正確さについて、だ。




