アーシャの戦い
貧民街の路地裏をひたすら駆ける。
そこは細い場所であり、人が二人並ぶことすらきつい。一人で歩くぐらいが十分な幅であり、正直全速力で駆けるのは厳しいところがあった。まだ女だから通りやすいが、背負っている武器の弓が少し邪魔に思えてくる。
離れている距離を逃げているのは、三人組の中でもやや小柄な男だ。私は風の魔法で速度を上げているというのに、距離があまり縮まらないのは彼も魔法か何かを使っているのだろう。
「いい加減にして……!ウインドボール!」
走りながら、風の初級魔法を唱えて発動する。殺傷能力は低いが、牽制としては高い能力を誇る魔法だ。
風の球が五つ浮かび上がり、男へと弧を描いて向かう。男本体よりもその前を狙ったので、それは狙い通り男の前の地面へと当たって男は足を止めた。
「ちッ……」
振り返ったその姿は、凶悪な顔で思わず怯む。だけど男も観念したみたいで、もう逃げ出す気はなさそうだった。
さて、これからどうするか。
「あんた、何者?」
「ハッ、答えるわけねぇだろ」
「それもそうね。なら捕まえるしかないわ」
「冒険者風情が、なめるなよ!」
やっぱり戦うしかないのよね。
私の得物は弓と魔法だ。基本的に遠距離タイプで、パーティーでは支援を主とすることが多い。だからこういった一対一って苦手なの。
しかも相手は懐から短剣を取り出したので、近接タイプなのだろう。
――魔道士は懐に入られたら負けたも同然。
なら先手必勝よ!
「穿て、ウインドランス!」
凝縮された槍状の風の塊。その風圧の威力は貫通能力に優れている。風の中級魔法だ。
風の槍が真っ直ぐ男へと目指す。横は建物に阻まれている。逃げ場は少ない。だが男は上空に跳躍して避けた。
人が普通に跳べる高さじゃない。多分あいつも私と同じ風属性。
もともと今の魔法が当たると思ってはない。すかさず次の魔法を放つ。
「ウインドボール!」
跳んだ先を狙った。
さすがに上空で回避行動は取れないでしょ。
「なめるなと言ったはずだ!……防風の陣!」
風の防御結界!?
私が放った風の球は全て男を取り巻く風によって相殺された。
初級魔法じゃ太刀打ちできないってわけね。
気を取り直して次の行動に移そうとするが、男の方が一歩早かった。
上空で魔法を発動して着地した後、その一歩を軸にしてこっちへ踏み込んできた。思ってた以上に素早い。その手には短剣を持っている。
まずい!
「……ッ!」
横の建物に背をつけてギリギリで回避した。けれど頬を短剣の切っ先が掠めた。
男は横を通り過ぎたが、そのまま反転して再度攻撃を仕掛けてくる構えを見せている。
させるわけにはいかない。
一歩後ろへ後退して、牽制するようにウインドボールを放つ。そしてそのまま次の魔法を唱えた。
「荒ぶる風よ、吹きつけろ……乱風散花!」
私の背後から、強烈な風が流れる。範囲は数十メートルには及ぶもので、その流れに逆らうことは何人たりとも出来ない。
男もそれが分かったのか、素直に後退して距離を取った。
一度攻撃を止めて、互いに睨み合う。
強い。いったい何者。レジスタンスなの?
頬から微かに流れる血を指で拭った。
真っ赤な血。私にとっては恐ろしく身近に感じるものだ。
だけど怪我をするのは何も初めてじゃない。この五年間、少ないとはいえ、魔物退治の依頼だってこなしてきた。これくらいは、何ともない。
「……思った以上にはやるようだが、俺には勝てやしない」
余裕そうな笑みを浮かべながら、男はジロリと舐め回すような視線を送ってくる。
気持ち悪いわ。
だけど多分男の実力は高い。まだ油断している今のうちに決めないと、勝てないかもしれない。こんなところで負けてるわけにもいかないのに。
「降参するなら今のうちだぜぇ?」
「誰がするもんですか」
「そうかい。なら、死ぬしかないな。……エアブレード!」
複数の風の刃が上下から襲ってくる、殺傷能力の高い魔法。まともに当たるわけにはいかない。
「防風の陣!」
男が先ほど使って見せたものと同じ魔法を展開させた。
かろうじて自分の風が圧されるものの、男の風の刃は全て消し去った。
同じ魔法を使ったことを挑発と捉えたのだろう。男は憎々しげにこちらを睨んできた。
その視線が、逆に私を優位に立たせた気がした。
「ウインドボール!」
懲りずに初級魔法を展開する。けれど、その数はさっきよりの倍でいて大きい。直径五十センチくらいはあるだろう。
それらが様々な角度から男へと向かう。男がどう対処するのかは、特に考えなかった。
そのまま二撃目の魔法を唱える。
「風の奔流よ、突き上げろ……ノックウインド!」
風の球を処理している男の足元を目がけて放つ。男の足元から上空に向かって突風が現れ、その身体もろとも空高くへと突き上げた。
「ふざけるなよ、貴様!」
自由の利かない身体にイラついたのか、罵声を浴びせる男。
惨めね。余裕のない男ほど醜いものはないわ。
三撃目。
「穿て、ウインドランス!」
先ほどと同じ凝縮された風の槍を男へと一直線に放つ。しかし男も同様に同じ魔法を発動させていた。男なりの足掻きなのだろう。
私の風の槍と男の風の槍が衝突する。
同じ魔法が衝突した場合、大抵は魔力が高い方が勝つ。
静かな音の後には、残った風の槍がこっちへ向かってきた。男の魔力の方が高かったってことだ。
けど、それも予想済み。
これで終撃。
「風の矢よ、我が弓に力を――」
背負っていた矢のない弓を構えて、番える。詠唱と共に現れるのは、風の魔力で出来た一つの矢。普通の矢と侮る勿れ。それは風の槍など比べにもならない威力を秘めている。
あれだけ高く跳んだなのなら、恰好の的よ。
放った矢は、男の風の槍をかき消しながら、男の身体を貫いた。
大きな傷を負った男は為すすべなく、地へと戻り倒れ伏した。
「さぁ、話は後でじっくり聞くわよ」
トドメとして拘束する魔法を発動させようとした。けれど男の雰囲気がおかしいのに気づき、直前でそれを止める。
「くくっ、まさかやられるなんてな……」
「何……?」
「情報など与えるわけがないだろう!そして見られたお前も生かしては返さん!」
血走った眼を大きく見開きながら、男は壊れていた。
その様子があまりにも奇妙でおかしく、私は恐れを抱いて呆然と見ることしかできなかった。
血に濡れた手をかざし、男は何かを唱える。
魔法、ではない。
「血の盟約に従い、願いを聞け。我が魂を贄に、今ここに姿を現せ……!」
男の周囲を暗い闇が覆う。
刹那、血を吐いて男は倒れた。その先の地面にはいつの間にか、何かの絵が描かれた。
丸い中に線がいくつも走っている。
これは……魔法陣!
そう気づいたとき、魔法陣は血の赤色に輝き、またしても闇が覆った。
「何なの、これ……!……嘘……!」
闇が晴れた時、そこにはいるはずのなかった何かが立っていた。
人間、ではない。
黒い人型の、魔物みたいな何かが。




