五年の歳月
「エキシビションの試合、勝利おめでとうございます」
その日の夜、数か月ぶりにアーザイク邸を訪れていた。
ローテーブルを間として、三人は座れるほどのソファに私とデューク様は向かい合って座っていた。テーブルには私が飲む紅茶とデューク様が飲む果実酒が置いてある。本当は私もお酒が飲みたいのだが、さすがにデューク様の前では望んだことはなかった。
私の言葉にデューク様はクスリと笑って、嬉しそうに答える。
「ありがとう。アーシャが応援してくれたおかげだ」
「……私は一言も応援したとは言ってないわ」
「そうかな?それは残念だ」
全く残念そうに見えない顔で答えられて、それに私の機嫌は少し悪くなる。
私とデューク様が出会ってすでに五年。
今日みたいに私はデューク様の部屋で一日を過ごすことは時々ある。公的には月一くらいで婚約者としての交流なのだが、実際に部屋を訪れるのは数か月に一度だ。それは主に私のアリバイ工作がほとんどで、冒険者の活動をしたり城下町で過ごしたりする時にこの部屋にいたことにしてもらっている。その代わりに私はデューク様の婚約者という姿を全うしていることで互いの利害を一致させていた。デューク様は私に干渉しないという条件もあるので、私が冒険者をやっていることは当然知らない。
それでも、私たちの仲はそれなりに砕けたものになっただろう。こうして部屋にいる間、デューク様は私に敬語を使わないし、私もまたデューク様に対する態度はデューク様の前でしかしない。少なくとも簡単な軽口ぐらいは言い合える間柄にはなっている。
「それにしても、貴方はやっぱり弟想いでいるのですね」
「なぜ?」
「わざとディーンに攻撃の機会を与えたでしょう?まあ咄嗟に本気を出してしまったみたいですけど」
今日の試合の最後の場面をなんとなく思い出す。
あれはどうみてもディーンにわざと隙を見せたとしか思えなかった。そうでなきゃいくら相手がディーンだろうが、デューク様が攻撃を与える隙を見せるわけもないのだ。
デューク様自身、本人が弟を溺愛しているのは認めている。もちろん逆も然りだ。
「……やっぱり君には敵わない。ディーンも気づいてなかったんだけどな」
「だって貴方はこの国で一番強い騎士ですよ?いくら相手がディーンでも傷を負うとは思えないわ」
「そうか……。アーシャにそう言って貰えるのはやはり嬉しいな」
私を見つめながらデューク様は笑った。
相変わらずのキザなセリフは健在で、こうして無自覚に誑し込んでくる。そうするにつれて私のスルースキルも上がっていくのだと実感した。こういう時は無言で笑顔を返すのが一番なのだと分かっている。
それにデューク様は苦笑で返すが、それから一瞬だけ翳りを落とした。
「だけど……俺は確かにこの国で一番強い騎士かもしれないが、一番強い人間ではない」
「え……?」
「俺より強い人間など幾らでもいるということだ」
「それはいったいどういう……?」
「そうだな……身近で言うなら父上や親友がそうだろうか」
父上と親友。それは紛れもなくオルガスト様とシルヴァさんのことだ。
まさかデューク様が自らそんなことを言うとは思わず、私の眉は少し下がり気味になった。
「けれどオルガスト様はデューク様の力を認めて騎士団長の座を譲ったのではないのですか?騎士団長とは騎士団の中でも一番強い騎士を表すと聞いています。それはデューク様がオルガスト様を上回ったということでは?」
それは私の純粋な疑問であったが、デューク様はそれを聞いても悲しんだ笑みを浮かべるだけだ。
その表情は五年の付き合いにして初めて見るデューク様の弱さでもあった。
「そんなことはない。常勝将軍の父上だ。いくら老いがあってもまだまだ父上の方が強い。それでも俺に騎士団長の座を与えたのは、俺への期待と父上自ら前線を退きたいという願いからだ」
「そうなのですか?」
「あぁ。もちろんこれは秘匿なことだけどな。俺だけしか知らない事実だ」
「……それを私になぜ知らせたのですか」
そんな事実、正直聞きたくもなかった。アーザイク家のいざこざなど私としては巻き込まれたくもない。
それを隠そうともせず咎める私に、デューク様はまたしても今まで見せたことない表情を私に見せた。
「……なぜだろうな。俺にも分からない」
そう言いながら果実酒を一口飲むと、やがてデューク様は先ほどまでが嘘のようにまたキザな笑みを浮かべた。
「君に慰めてほしいのかもな」
「……ご冗談を」
嘘か真か分からない言葉に、私は本音を見ようともせずに返す。その返事が気に入ったように、デューク様はまた笑っていた。
「つれないな、アーシャは」
「貴方の軽口を真に受けるようなお嬢様方ではないですからね」
「やれやれ……」
肩を竦めて、デューク様はそれ以上何も言おうとしなかった。
調子が狂うわ。
初めて見た彼の態度に、私はどう反応すべきかよく分からなかった。
すでにいつもの笑みを浮かべているが、こういう時は腹の内で何を考えているか分かったものではない。私も余計なことは何も言わずに、目の前の紅茶に口をつけた。
「…………」
「…………」
数分の間、私たちは一言も喋らずに飲み物に手を付けている。
あああああ、もう!
何なのよ!調子狂うわ!
半ば怒りから、紅茶を置く手つきに力がこもる。
静寂にふさわしくない音が部屋の中に響き渡った。その音にデューク様も眉根を寄せて反応する。
「アーシャ?」
「……デューク様らしくないわ」
絞り出した私の声に、何を言ってるのかとデューク様は首をかしげていた。それを見るだけでも私の中ではなぜか苛立ちが募る。
「デューク様は一番強い人間になりたいのですか?今のままでは満足できないのですか?」
「……アーシャ?どうした、急に」
「貴方はなぜ騎士になったのですか?」
「……ッ!?」
デューク様が自分を誰かと比べるなんて初めて聞いたが、そんなのデューク様らしくない。もちろん私がデューク様の全てを知っているわけでもない。
「何を考えているのか知りませんが、私の知る貴方は女性を前に黙って過ごす人ではないわ。しつこいくらいにキザったらしい言葉を口に並べて、王子よりも王子面した紳士の皮を被った曲者だわ」
「……ひどいね。そんなことを思っていたのか?」
「どうかしら。私の前では本当の貴方でいてもいいけれど、少なくとも変なことで考え込むのは貴方らしくないんじゃないかしら」
「…………」
あぁ、私は何を言ってるんだろう。
今日の様子のおかしいデューク様が何を思っているのかは分からない。
だけどあまりいいことを考えていないのは確かだ。それがどうしようもなく見ていられない気分になった。
デューク様が居心地のいい場所を与えるのは、共犯者である私の役目でもある。私が自由に動く時、協力してくれる対価がそうだといっていいくらいに。
だからこそ、今この場では素直でいてほしかった。
それは偽りのない私自身の本心だ。
「……その通りだな、アーシャ。ありがとう」
「……礼を言われるようなことは何もしてませんわ」
どことなく何かを吹っ切るような顔で、デューク様は私へと笑ってくれた。その笑顔に不意打ちを喰らわされたようにドキッとする。
これだから美形は心臓に悪い。条件反射だ。
「アーシャがそんなにも俺のことを想ってくれるなんて思わなかった。これからは俺も全身全霊の愛を君に贈るよ」
普段通りに戻ったようで、そんな言葉に私はクスッと笑うだけだ。ここで過剰な反応してはデューク様の思うつぼなのは五年の間で身に染みている。
もちろんそれはデューク様も理解しているだろう。
これが五年の間過ごしてきた私たちの関係だ。
「それだけ元気があれば十分ですわね。……今日はもう就寝することにします」
そして私はデューク様の寝室のベッドへと先に入り込んだ。
ただの婚約者でないからこそ、私たちは同じ部屋で眠る。けれど決して同じベッドにはならないので、私がベッドへ入れば必然的にデューク様はソファで寝ることになる。
それは今日のデューク様に対する意趣返しだ。
それが分かっているからこそ、そんな私の行動に彼は苦笑するだけだった。




