悪夢
どこを見渡しても木々が絶えない。
光すらも見えないそこは暗い森だった。
「ハァ……ハァ……ッ……!」
後ろを時折振り返りながらも少女はただひたすらに走る。
どこへ行けばいいかなど分かるわけもなく、ただひたすらに、がむしゃらに。
後ろから迫りくる魔獣たちの群れから逃げるだけだった。
「何で……!何でこんなことに……!」
履いていた靴は逃げる最中で脱げていた。
それでも裸足で彼女は走り続ける。その足に傷がどれだけ付こうとも。
それなりの衣服を身に着けていた彼女の姿はボロボロだった。
走る最中に大きな樹にぶつかったり、視界に現れる枝木に引っかかったりと、もはや原型を留めていないような有様でもあった。
それでも彼女は走ることを止めない。
それを止めれば、そこで彼女は命つきてしまうのだと分かっているから。
「助けて……誰か助けてよ!誰でもいいから!!」
その叫び声を聞く者は誰一人としていない。
この暗い森に人間は誰もいないのだ。
やがて距離も縮まる彼女と魔獣。
心の底ではもうダメだと絶望している。
だけど、それでも彼女はひたすらに走ることだけは止めなかった。
どれだけ身体がボロボロになろうと、泣き叫びながらも、最後まで自分で在り続けたいから。
「キシャアアアアアアッッ!!」
獰猛な魔獣のぎらついた声に遂に彼女は終わりを悟った。
最後の最後で後ろを振り返ると、そこには自分に向かって飛びつく魔獣の姿だった。
そして魔獣は彼女の顔に噛みついて喰らう。
「…………嫌ァッ!!」
彼女は――アーシャは絶望と共にベッドから起き上がった。
「……………………夢………………?」
夢?今のは夢なの?
本当に……?
「アーシャ様?どうかなさいましたか?」
呆然とする中、私の許可もなくルーナが部屋へと入ってくる。
まあそれはいつものことだし、それを注意するのもいつものことなんだけども……。
「アーシャ様?」
何も言わない私を訝しく思ったのかルーナは少しずつ近づいてくる。
だけど、それでも私は何一つ言葉を発せなかった。
それ以上に、今見た夢のリアルさに恐怖で身体が震えていたのだ。
「……!!すごい汗じゃないですか!何があったのですか!?」
「…………」
「アーシャ様!?」
身体を少し揺らされて、少しだけ意識が現実へと戻った気がした。
「ルーナ……何でもないわ」
「何でもないって……!」
「本当に何でもないの……ただちょっと怖い悪夢を見ただけだから……」
「……アーシャ様……」
子供じゃないのだ。たかが悪夢を見ただけで、ここまで恐怖に慄くわけがない。
それはきっとルーナも分かっている。だけど、彼女は何も言わずにいてくれた。
「……お召し物を取って参ります」
それだけ言ってルーナは一度部屋を出る。
それを視界の端で見やりながらも、私は今見た夢を忘れられなかった。
魔獣に殺される自分。
それはゲームで行われた私の末路だ。
「予知夢?……避けられないものだっていうの……?」
震えた声を精一杯口に出した。
そうでもしなければ、その事実に押しつぶされそうだったからだ。
「違う……そんなんじゃない!私は……!!」
そう。私は死なない。
死なないでみせる。
口に出して、もう何度目かの決意を新たにした。
夢を見た理由は分かっている。
今日から学院が新たにスタートするのだ。
それは即ち、彼女と――主人公と対面する日だった。
レヴァリア王立学院は王都の城下街に建っている。
学院の在学期間は六年で、三年間ずつ中等部と高等部に分かれていた。入学資格も十三歳以上で、前世で言う中高一貫の学院と同じだ。また、校舎は別々だがすぐ近い距離に隣立っている。
この世界では義務教育などというものはなく、入学するかどうかは各々の自由だ。学費だけ支払えれば平民貴族と関係なしに誰でも入学できる。そうは言ってもレヴァリア王国では未成年が学習できる機関はこの学院だけで、入学する価値は大いにある。
特に貴族はお金に不自由などするわけもないので、誰もがこの学院に入学するのが当たり前でもあった。反対に平民はお金には苦労するが、この学院で学ぶ価値は多く、余りにもお金がない下級の平民以外は学院へと通う。
余談だが、そんな平民の子息たちのためにも奨学金制度というのもあるのだ。この辺りはゲームならではの現実に似せた設定なのだろう。
ゲームの設定の一つとして、この世界の暦は現実と同じように1月から12月の365日だ。入学も当然4月であり、現在はその4月の春の季節にあたる。
今日から新学期。私たちは高等部三年と、学院では最終学年への進級だ。クラスは学年毎に三クラスあり、貴族クラスが一つと平民クラスが二つで分かれている。
学院が建てられた当時は身分によってクラスは分かれていなかったのだが、いつしか諍いが多くなったことによりこうして分けられることになった。なのでクラス替えは基本的に起こらない。
つまるところは一応貴族である私は、同学年の貴族皆と同じクラスなのだ。それは当然、ウィンダリア家の養子となった主人公も例外ではない。
現在学院高等部の正門前。
そこには人だかりが出来ていた。その中心にいるのは学院で最も有名で人気のあるエルンスト王子だ。自国の王子なのだからそれも当然なのだろう。けれどそこにいるのは王子だけでなく、五大貴族の面々と他の者たちにとっては見知らぬ少女が一人いたのだ。
「ちょっと……誰よあの娘……」
「何なの……?何でエルンスト様たちと一緒にいるのよ……」
「つーか黒髪に黒目?縁起悪くね?」
声が聞こえないことをいいことにギャラリーは初めてみる少女に対して訝し気な視線を一度に浴びせていた。男女共に嫉妬や奇異な視線が彼女を一斉に襲う。
けれど彼らはそんなギャラリーをものともせず、自分たちだけの世界を築いている。
そんな光景を私は客観的に分析していた。
「ゲームのオープニング……そうえいばこんな一幕だったわ……」
突然この世界に召喚された主人公。
彼女は魔王を倒す巫女として呼ばれ、その力を習得するべく学院へと入学する。本来彼女は16歳で現実では高校一年生に値する。けれどウィンダリア家のクラウスの助言のもと王子がいる三学年へと特例で転入を果たすことになるのだ。
そんな彼女の初登校に、事前に聞かされていた王子以下五大貴族の主要キャラクターたちが彼女と初対面するのだ。
ただ今、そんなイベントが繰り広げられているのだろう。
ちなみに私はギャラリーと一体化している、現在はただのモブでもある。
なぜなら私は姉たちとは違い、徒歩で通学しているからだ。
今あそこにいるバレリアナ家の三人は馬車で通学している。だからこそ、姉たちは主人公である彼女と一緒にいるのだろう。
だけど、一つだけ疑問に思うことがある。
なぜヨハンまであの場所にいるのだろうか。
ゲームでは主人公の親友兼サポートキャラとして姉と、攻略対象としてルクスもあの場にいる。だけど悪役キャラである私とヨハンはあの場にいないはずなのだ。
まあ天使の化身であるヨハンがもはや悪役ではないのだから、あの場にいてもおかしくはないのだが。
でもやっぱりヨハンはゲームから逸脱したキャラなのだろうか。
その事実が私の中で一抹の不安を過らせる。
「ううん、そこまで気にする必要はないわ……。私だってゲームからすれば逸脱しているのだから……」
だけど、それでも今朝見た夢が忘れられずに頭の中をチラつかせる。
もしも全てがゲームのシナリオ通りに進むのだとしたら。
アークさんたちのように、私もまた――
この世界でただ一人アーシャという人間だけが、この世界の真実を知っている。
その事実がこの世界へ何をもたらすのか。
それはまだ、誰にも分かるわけがなかった。




