44
姉のペットの黒い馬(松風とか黒王号とかそういうの)に乗せてもらい、20分とかからず辿り着いた火山。
昨日、リュックが誰かの金欲のために見つかってしまった場所。
まさか昨日の今日でくるとは思わなかったが……。
昨日と大きく違う点が二つあった。
一つは、日が沈んでいたこと。昨日はあんなことがあったので、風景を楽しむ余裕なぞなかったが、こうして見上げると、溶岩の灯りが反射して、山全体がまるで夕日に照らされているかのように真っ赤に染まっていた。
なるほど、これが〈夕日の街〉の由来かもしれないな。
もう一つ――
「本当に人がいねぇんだな」
「信用してなかったのー? 本当に風太は風太っぽいなー」
「なにその悪口?」
麓のほうは炭鉱夫をチラチラ見かけたが、中腹から上には人はいなかった。
リュックを捜すためにプレイヤーが駆り出されていたそうだが、それも夕方で終わってしまったそうだ。
明日のメンテナンスにすべてをかけているのだ。
会社の明暗を分ける、バグの削除を。
たぶん、母が言っていた「いまから仕事」というもの、リュックの位置を割り出すためのデータチェックだろう……。
「ちょっと聞いちゃった」
山頂へ向かう道中、姉はそんな言葉漏らした。
俺は、なんのことか理解できず、首をかしげる。
「盗み聞きしちゃったって話」
「ふぅん」
「なに。興味ないの? 言いふらすのに」
「なんでだよ! 聞いたことに反省したんじゃないのかよ!」
「大学……諦めるんだね」
「諦めねぇよ! どこらへん聞いてんだよ!」
疲れるから! ツッコミも!
「まぁ冗談はさておき。おねーちゃんにも教えなさいよ」
姉が、〈魔族〉らしいギラギラした歯を見せながら、壮絶に笑った。
「あのお母さんすら騙すような作戦っていうのをね!」
「バラさない?」
「言いふらす」
「なんでだよ!」
「ついたー」
俺が叫び終わる前に、姉は馬から飛び降りだ。
真似して、不格好ながら降りようとしたとき、姉は〈魔族〉の腕力で勢いよく馬の臀部を叩いた。
「ヒヒーン!!」
「なんでだっ! うおっおおお」
勉強一筋の俺が、乗馬なんて経験あるはずもなく、わけのわからないまま振り落とされた。
みっともなく地面を転がる――いや、本当に転がる!
斜面だから! ここ、山の斜面だからっ!!
「風太ー! 生きてるー!?」
「生きてるよ! なにすんだ!」
「その様子じゃまだみたいねー」
早く上がっておいでー! と叫ばれるが、俺に〈クライミング〉がなければ、姉はどうするつもりだったのだろうか。
「あー! もー! 心臓止まるかと思ったー……」
「あははー! 死ぬわけじゃないんだし」
「ホラーゲームのなにが嫌かって、その唐突さなんだよ!」
「ダークスコルピオン! カモン!」
「……え?」
いまのなに? 技名? 技名であったとしても叫びたくないんだけど。きちゃったよ、馬帰ってきちゃったよ。
「はい乗ってー。鐙に足引っ掛けて、そのまま立ち上がるイメージ。手綱離さないでねー」
「あ、はい」
えぇっと、意図がよくわからないのですが、とりあえずコーチである姉の言う通りにする。
ダークスコルピオンには、くくりつけられた左右の大きな荷物もあるというのに、コイツはクロカゼ伍長の体重を物ともせず、その黒い巨躯で俺の信頼を勝ち取った。
この馬、筋肉の塊やないか……。
「の、乗れましたよ」
「見りゃわかる。はい背筋伸ばしてー。そう、手綱離さないでねー」
さっきも聞いたぞ――と思った瞬間、また姉はダークスコルピオンの尻を叩いた。
「ヒヒィン!!」
勉強一筋なだけあって、学習能力は優秀だ。
今度は地面を転がることなく落馬した。
「あぶっ! あぶねぇ!! なんなの!? これなんなの!?」
「うるせぇがんばれー」
「はいコーチ」
「コーチと呼べー」
「俺が言ってから設定思い出すなよ……」
もう一度乗馬して、「叩かないでね」と、手を振り上げていた姉へ呼びかける。
面倒くさそうに、姉は基礎知識を披露してくれた。
「手綱を引かないように。ケツを鞍につけない。鐙で立つの。左右で手綱を引くとそっち曲がるから。クックックッって手綱引いて止めるー。はい行けー!」
「ヒヒーン!!」
「ひーん!!」
俺の馬みたいな悲鳴は置いておいて、今度は巧く乗り続けることに成功した。馬だけにってな! ハハッ!
「おー! いいじゃんいいじゃん!」
「いや! なんで、こんな、山なんだよ!」
火山の下に広がる平原をなんだと思っているんだ。
斜面を自由に駆けるダークスコルピオンに身を委ね、斜面を駆け上がったり、駆け下りたりと……なにも操作していないんですけどね?
ちなみに、どんな理由かは知らないが、姉が騎手を務めていたときほどスピード感はない。どんなライセンスが必要なのか……。
「あんたそれ〈人間〉でしょー? このほうが楽なのー」
「なんだよそれ!?」
「姿勢崩れてるよー! 維持してー!」
いやいや、あのさ……。ゲームだとわかっていても、この高さは怖い。恐ろしい。
そもそも、俺からすればクロカゼ伍長の視線ですら、少し怖かったりするのだ。それのこのダークスコルピオンは、でけぇ。伍長の身長と相まって、視界の高さは5mに届く。二階だぞ二階。現実世界で俺が『事故』していたらどうするんだ。
――お?!
『〈乗馬〉を会得しました』
『〈ライダー〉を取得しました』
『〈悪路走破〉を会得しました』
「おおおお!!」
恐怖に震えていた、たった5分後の出来事だった。
手綱を思い切り引いてしまい、ウィリーした馬から、またも落ちてしまったが、俺はそれどころじゃなかった。
「ライセンス取れたー?」
「取れた取れたー」
「ぐっじょぶー。ダークスコルピオン貸すから、次行くよー」
スキル確認したいんですけど!
翼を羽ばたかせた姉は、山頂に向かって飛んでいく。
見失うと困るので、〈跳躍力Lv7〉を使ってダークスコルピオンに飛び乗った。
「はいよー!」
「…………」
ヒヒーンとか言えよ。
尻を叩いて走らせた。
結局、姉は山頂すら飛び越え、山の向こう側へと消えてしまう。
「またここ通るのかよ……」
火山の窪み――
昨日の、切羽詰った、緊張にも似た苦い記憶が蘇る。
「周り道しようなー。ダークスコルピオーン」
馬の頭を撫でながら、半周しようとした矢先だった。
「カモン!!」
「ヒヒーン!!」
「うぬぅ!?」
姉の声が山頂に響き、俺とダークスコルピオンはその声に導かれるまま、窪みを突っ切ることになった。
崩れ出す地面。
「〈悪路走破〉っっっ!!!」
ついさっき覚えたばかりの補助スキルを叫ぶ。
スキルの詳しい説明? 見ていないからわからない。この危機を乗り越えられそうなスキルがこれしかなかったというだけの話しだ。
スキルのおかげかはわからないが、ダークスコルピオンは怯えもみせずに、崩れ落ちようとしている地面を駆け抜けた。
最後は、落下しようとしている岩を使っての跳躍――。
格好良すぎるだろうダークスコルピオン!
「ぶはぁ!!!」
「おー、やるやるー!」
この姉殴ってやろうか。
「いまのはなんの訓練ですかコーチ」
「いまのはなんの訓練でもないですよ」
「…………」
明日の朝ごはんはいらんようだな!
12時間後空腹でのたうちまわるであろう姉は、ダークスコルピオンの背に付けられた荷物から、折りたたまれた――弓を取り出す。
「はいこれ」
「うい」
「はいこれ」
「ういうい」
弓と弓矢を受け取って……なに?
姉が指差す方向には、火山から立ち上り始めた黒煙がある。
煙しか見えねぇ。
――だが、それで十分なのだ。
「あそこらへんに、グルグル走り続けるトカゲモンスターがいっぱい出るから、真ん中くらいを適当に射って」
「は、はぁ」
「本当なら湖がある〈パーフェクトブルー〉でやるんだけど、まぁこっちでもできるんですよーと。来るのが大変だし荷物多いしで、誰もここじゃやらない、言わば穴場ですよ。言わ場ですよ」
岩場がなんだと抜かす姉はさておき、俺は適当に弓を引いた。狙いもつけず、適当に打つ。
「ざんねーん。はいもう一本」
「なんだと?」
〈鷲の目〉を発動させても煙しか見えないのに、本当にどこまでやり込んでいるんだ姉ちゃん……。
「手前? 奥?」
「奥ー。仰角20度」
仰角ってこういうときに使う言葉かな? そう思いながら、少しばかり矢尻を上に向ける。
「どんどん撃ちなさい」
「アイ、サー」
連続して射る。
特別手応えはなかったが、姉が「いいぞもっとだー!」と言い放つので、気にせず煙に向かって射ることにした。
本数はよく数えていないが、弓の糸を強く引いたとき、目の前にもう一度通知が現れた。
『〈狩人〉を取得しました』
「〈狩人〉だけ取れたけども」
「〈スナイプ〉は?」
「出てない」
「へぇー、やっぱり〈人間〉って面倒だね」
お前は化物かなにかか。
「じゃ、次行こうか」
「え? これでいいの?」
「ライセンスあれば十分だからねー」
いや、ライセンスあっても、スキルないと戦えないじゃない。〈スナイプ〉とかすごく使い勝手良さそうじゃないのさ。
このコーチの信頼感はいかほどかと内心測っていたのだが、それを気にすることなく姉ちゃんはふよふよ空を飛んで下山していく。
そういえば、山の向こうってどうなっているんだろうか。
ダークスコルピオンの荷物のなかに弓と矢を閉まって、姉の後を追いかける。
「次はこっちー!」
……いや、崖なんですけど。
〈悪路走破〉って言っても、成功率100パーセントってわけじゃないでしょ? それどころか悪路でもねぇよ。崖だって言ってるだろうがっ!
「手ぇ離すなよー」
「いや、あの――」
「カモン!!」
「ヒヒーン!!」
「ひぃぃぃぃぃ!!」
手綱を離すどころか、俺はダークスコルピオンの首にしがみつくことになった。
火山の裏手の切り立った崖を落ちていく途中、洞窟を見つけた。
見つけたとは言っても、空を悠々と飛ぶ姉の指差す方向へ進むダークスコルピオンが勝手に進んだだけであって、俺がその洞窟を見つけたのは、馬が平面な地面に立って、主人の飛行を待つ間のことだった。
姉は洞窟の入口にダークスコルピオンを停めると、馬の背中にくくられた大きな二つの荷物をひとまとめにして、今度はダークスコルピオンのケツを思い切り叩いた。
「ヒヒーン」
暗闇に消えていく馬を見ながら、帰りのことを考える。
またなにかされるのか? されるにしたって何時帰れるんだこれ……。
姉の真っ赤な髪の毛を目印にして、俺もついていくと、なにやら洞窟の奥が明るくなっていた。
そこに――大きなモンスターが剣を振るっていた。
「姉ちゃんおそーい!」
「ごめんねー。風太相変わらずチキンでさぁ」
「お前は武蔵坊弁慶か」
雪緒が(俺の知っている雪緒の姿ではなかったが)そこにいた。
しかも、背後には大量の武器が控えている。
剣だ槍だ弓だ杖だ。鑑定するまでもなく、素晴らしい出来栄えだということが、素人目にもわかってしまう。
「えー、ここからは雪緒もコーチになります」
「崇め奉れ」
「コーチってそんな神聖なもんじゃねぇよ」
さて、と。
俺は、雪緒を観察する。
デカい。〈ワーウルフ〉ってここまでデカくなるのか。
正確に測ったことはないが、クロカゼ伍長の身長は2m30cmほど。その俺と同等の視線ということは、彼もそんなものだろう。
頭部も、脚部も、大剣をもつその腕も、立派な毛並みの狼人間だ。青白い体毛を、実にモフモフしたくなる。
「驚いた?」
「驚いた。ワーウルフって始めて見たわ」
「あれ? フレンドにいるって言ってなかった?」
「夜は会ったことないからさ」
ゲイル、フレンドリストから削除済みだし……。
「んで、ここってなに?」
「火山のダンジョンの入口ー」
「マジで!?」
ダンジョン――そのもっともゲームに相応しいのフィールドを、俺が体験できる日がこようとは。
洞窟を三人で進みながら、姉兄弟仲良く話し合う。
まぁ、雪緒の後ろにあった大量の武器を俺が持つことになったので、果たして仲が良かったのかは、このさい議論はしないでおこう。
「〈ウェルカムパオ〉のダンジョンは、この時間人一杯だからねー。明日メンテナンス入るから、もーすごいでしょう」
「昼間行ったらすごかったよ。モンスター空っぽ」
「あはは、本発売組がそろそろ三つ目か四つ目の街に辿り着く頃だからね。大変だわ」
「そういえば、緊急メンテナンスの告知っていつ?」
「夜11時って言っていたから、あと2時間も経ったらメッセージが届くよ。ネットだと知っている人多数だから、文句垂れ流す奴らの多いこと多いこと」
姉も文句垂れ流す側だと思うのだが。
それじゃ、そろそろ本題でも話すか――。
「あのさ、二人も明日参加してくれるの?」
「リュックってNPCのことでしょー。俺はなんでもいいよー」
「だって。まぁ、雪緒はメンテ中にログインするの始めてだからね。いい経験になるわ」
いい経験……とな。
人生に置いてログインできない時間にゲームにログインすることが、どんな経験につながるのか、俺にはほとんど理解できなかったぞコーチよ。
まぁ、参加してくれるというのだ。素直に礼の一つでも言ってやろう。
「ありがとな」
「もちろんあたしもちゃんと参加したから、任せてねー。いやー、やっぱりツテがあると違うわー。会社側に雇われているみたいで気持ちいいねー」
――ん?
ん……んん?
「会社から?」
「そうそう。母さんの話しだと、あんた反体制側なんでしょ? うんうん、若いねぇ」
「よくわかんないけど、明日ログインしたら、勝手に動き回っているNPCに攻撃しろって言われてるんだー」
……明日はコイツらの『セカンドライフ』を叩き割ってログインしようか。
いやいや、そんなことをしてみろ、報復が怖くて部屋から出られなくなる。
心の天秤が右に左に傾くものだから、とりあえず心の棚にあげることにした。
事情の説明は後回しにして、いまは強くなること優先だ。
「次はなんのライセンス?」
「槍と投擲と鈍器かなー。時間かかるから面倒なんだよねー」
「時間かかるって、どれくらい?」
メニューから時計を確認する。
すでに21時を越している。あと半日経てば――メンテナンスだ。
12時間、そう思った途端、汗が吹き出す気分だ。
武者震いなんてカッコイイもんじゃない。
怖い。めっちゃくちゃ怖い。
怖いというか、不安なのか。
「一時間くらい? そのあともやることあるから、まぁ天辺は越すかなー」
天辺。零時のことか?
睡眠は絶対に摂るとして、俺に、ほかにできること――
「姉ちゃん」
「なにー?」
「魔法、教えてくれ」




