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しばらく沈黙が続くかと思ったヒイラギくんの部屋だったが、その家主は、重苦しい雰囲気を嫌ったようだ。
「そういえば、クロカゼさんって17なんですね?」
「ん……んん」
首肯しつつも、さっきあれほどなことを口走った手前、誕生日が八月の半ばなんですよぉーと軽口を叩くことはできなかった。
「あ、そういえば! あたしらより年下じゃん」
――え?
「やっぱりガキっぽいと思ったー! ヒイラギ、こんな奴に敬語使っちゃダメだよ!」
「待てクー! え!? 年上!?」
リュックを抱き寄せるどころか、いつの間にかアスナロ抱きをしていたクーに詰め寄る。
「ちょっと! リュックに近づかないでー!」
「クー、そんなこと言ったらダメだよ」
「でもヒイラギィ!」
あーだこーだと言い合う二人を見ながら、目がパチパチしてしまった。晴天の霹靂というやつだ。え? マジで?
マジで自分の分身に覇王ダークディステニーって付ける人間が18禁コーナーうろついているのこの日本?
俺がそんなこと考えていると、ふと、ヒイラギくんが真剣な顔をし始めた。
さきほどの、答えだろう。
彼は、どう答えるのか……。
「ボク、耳が聞こえないんです」
「――え」
――え?
「と言っても、いまはまだ片耳だけですけどね!」
――え?
あはは、と笑う彼に、俺は反応できなかった。
話が重い? いやいや。
答えが違う? いやいや。
まさか、知り合いに、そういう人間がいると、予想だにしていなかったのだ。
「あたしは……え、言うべき?」
クーはためらうように、ヒイラギくんに聞いた。
彼は笑いながら、言わなくていいよ、と言った。
だが、彼女はしばらくリュックの顔をのぞきこんで……。
「あたしは、足が動きません。両足です! 文句ある!?」
「っ、あ、ありません、が……えっと……」
俺に向かって吠えたクーに、なんと、声を掛けるのが正解なのか。
「別に! リハビリすれば治るし!」
「サボらなければ治る。でしょ?」
「う、いや、だって……痛いし……」
「痛い……辛いんですか?」
リュックは、二人の言った意味を理解しているのだろうか――素直な質問だと思った。
俺は、固唾を飲んでその光景を見続けるしかできなかった。
部屋の椅子に座るトールも、俺と同じ表情をしている。
「んー辛くはないかな? や、リハビリは面倒だし辛いけど、なんか、まぁ退屈はしてないかな。それにほら、〈ここ〉だと疲れないし」
クーは口角を大きく上げて笑った。
「事故でねー、あ、誰も死んでないよ? ただ、神経が一度切れたらしくて、下手したら脊髄損傷もありえたって先生が言ってた。それだと、さすがにあたしもゲームする余裕なんてないんだろうなー」
「ボクはクーにやらせたくて始めたんだけど、ボクのほうがハマっちゃった」
「ヒイラギってそういうところあるよねー。だから――あ、クロカゼ、重く捉えないでね。もともと走るのとか運動とか好きじゃないから」
「あぁ、でも、えっと……」
「じゃあクロカゼさん、さっきの話、撤回してもらますか?」
さっき、俺が言ったこと。
どこを撤回して、何に謝ればいいのだろう――。
「ボクとクー、それに覇王……えぇと……山田くんは――」
あ、ちょっとそれ今いらない!
「――医療学校に通っています。養護学校ってわけじゃないけど、むしろ研究機関って感じがするけど、そういう学校です。そこで、〈Dragon obey Licence Online〉というゲームと、『セカンドライフ』というハードを貸してもらいました」
「え、アレ貸してもらっただけなの!?」
「あ、いや、もらえるのかな?」
「もらおうよー! 欲しいー! これ欲しいー! 足治ってもリュックに会いにくるー!」
「ちょ、苦しいですよぉ!」
女二人の笑い声に負けないくらい、ヒイラギくんの声が真っ直ぐに響いた。
「ボクらが一緒にゲームしているのは、決して幸運なんかじゃありません。むしろ、不幸だと思われたから、幸せになってほしいと思ってもらったから、贈られたんです」
「……ごめん。……ごめんなさい!」
人生で、あそこまでの失言はなかった。
頭を下げるってどこまで下げればいい。こんなあやふやな気持ちで土下座したって意味がない。
だから、誠意をこめて頭を下げた。
「すみませんでしたぁ!!」
「はい。確かに受け取りました」
不安になりながらも顔を上げると、そこには笑顔のヒイラギくんとクーがいた。
「デリカシーゼロ筋肉ダルマが!!」
訂正、そこには笑顔のヒイラギくんがいた。
「ちなみに、ボクは23歳で、クーは今年で18歳ですよー」
「……お前は同学年じゃねぇかっ」
ババっと頭を上げる。
別に、ツッコミしたから顔を上げたわけじゃない。
ヒイラギくんとの年齢の差に驚いたが、彼の対人能力は、確かに大人のものだった。
アバターはこんなに少年なのに、年齢聞くだけで大人って気がするな。
うん――大人の目だ。
「二人とも、覚悟はいいんだな?」
「はい!」
「リュックがいないゲームやるなら、リハビリ専念するってーの」
それは……リハビリやったほうが、いいだろうよ。
「捕まったら、もしかしたら二度とリュックには会えないぞ」
成功しても、しなくても、その可能性はあるんだ。
だから、俺一人でも良かった。リュックが生き延びても、リュックが孤独では意味がないと思った。
そんなもの、腹をくくってしまえば、瑣末な問題なのかもしれない。
二人は、そんな小さな問題を無視するように、大きく頷いた。
「――わたしは……無理だよ……」
ん? え、誰?
声の主はトールだろうが、えっと……女性のかたでいらっしゃった?
俺たちの疑問はさておいて、先ほどの俺と同じくらい頭を下げるエレクトールは、必死だった。
「わたしは無理! ごめん! 無理!」
こっちのほうが、おそらく何倍も人間らしい答えだろう。
ゆえに、返答もしやすかった。
――肩の荷が下りた、と言うべきか。
少なくとも、俺たちのワガママに一人巻き込むのを防げたわけだし。
「大丈夫だよ。あのな、トール……さん。謝る必要もないし、頭を下げるなんてもってのほかだ。当たり前だよ。むしろ、この話にここまでついてきてくれただけで、ありがとうございます」
「でも……わたし……伍長くんの言ったとおりだもん! 抽選当たって、喜んで、浮かれて、友達作ったつもりになって――ごめん」
「作ったつもりってのはひどいな!!」
これは心からだった。
「俺はトールさんのこと友人だと思っているし、さっきのは、あれだ、みんなを引き下ろしたいがためについた、なんか、あれだよ」
「バレバレだ下手クソー!」
クーになじられ、頬を赤く染めてしまう。
「うるせぇ! あ、いやね、あの、トールさん。引き止めないし、トールさんがその答えで安心したし、安全のために、トールさんとゲイルをフレンドから削除するつもりではいるんだが……それでも、わかっていてほしいんだ。俺とフレンドになってくれてありがとう」
トールは顔を上げない。
上げられないのかもしれない。
逃げたことが恥ずかしいのかもしれない。
俺は、そんな憶測でしかトールのことを語ることができない。
「ごめん……伍長くん」
「いいって。そのかわり、このことは他言無用。あと、さっきのメモは廃棄してね?」
「……ごめん」
「ごめん――リュックさん」
リュックにも最後まで謝っていた彼、か、彼女は、目の前でテレポートでもするように消えてしまった。
この面子が残ることは予想していた。
部屋を見渡す。
始めて4日目の〈亜人〉、ヒイラギ。
始めて3日目の〈亜人・クロコダイル〉、クー。
知り合って、24時間も経っていない、生後3日目の、リュック。
身長2m強。筋肉隆々。顔にはデカいサンマ傷。〈人間〉のくせにまともなライセンスを持たず、自分へ必死に言い聞かせなければ消えてしまいそうな、『絶対』と『守る』とを使い続ける、少年、風太。
なんだよ、頼もしいじゃねぇか――とか、前向きに言ってみた。
「リュック、少しだけ、お願いがあるんだが」
「私からもお願いがあります」
リュックは立ち上がって――俺の右手を両手で包み込む。
やわらかい。
あったかい。
きもちいい。
そして俺が気持ち悪いっ。
リュックが血の通った人間だとしても、この状況でこんな肉欲的な衝動を抱える俺がすこぶる気持ち悪い! なんでこんなにスベスベ珠のお肌なんだよ。NPCにプレイヤーは触れないっていうのに。
「あんな嘘、やめてください。クロカゼさん、辛そうでした。痛そうでした」
「嘘って……さっきのか?」
俺が、ヒイラギくんたちの事情もなにも考えず、口走った言葉。
でも、あれは――全部が嘘だったわけじゃない。
「ありがとうリュック。リュックも、俺が痛いと感じたら、嫌なんだろうな」
彼女の両手を、俺の両手で包む。
「y……温かいな」
「は、はい……」
人としての理性が男の本能に勝った瞬間でもあった。
俺の語彙選択は間違えていないはずだ。一番気持ち悪くないの選んだもん。
「リュック。ありがとう」
「お礼を言うのは私です! クロカゼさんがあんな嘘をついたのは、私のため、だと思うから――」
「そうかもしれない……。でも、俺がああ言ったのは、リュックを想ってのことじゃない」
彼女は複雑そうな表情をしたまま首を傾けた。
「リュックは頭がいいんだな……。それに優しい。だけど、俺はお前のために人生を掛けられるほど、お前を知らないんだ」
哲学になるが、誰かを庇って死ぬことも、所詮は自己満足でしかない――という悲しい話題もあるほどだ。
「俺がお前を助けようとするのは、言ってしまえば、自己満足のためだ……。リュックを見捨てたら、お前を見殺しにしたら、きっと、明日の飯すら食えなくなる。それがいやだったんだ――そんな俺にも、リュックを守る権利をくれるのか?」
そう聞くと、リュックは大きく頷いてくれた。
愛情も、友情も、人情もない、自愛しかないこの俺に向かって。
「ありがとう、ございます」
「こちらこそ、ありがとう。じゃ、俺も聞くぞ」
リュックの、少しだけ神妙な表情を見ながら、俺は笑った。
さぁて……なにから聞こうかな――。
「リュックから見て――俺が男でクーが女とか見分けつくの?」
「え?」
「あ、『そっち』の系? じゃああたしも聞きたい!」
「ざけんな! 俺のが先だ!」
リュックの唖然とした顔。
可愛いと思った。
自分のためだけではなく、リュックだから守りたい気持ち。
そういう感情がほしかったから。
――ほら、そういうのって奇跡を起こすっていうだろ。




