30
昨日はセンチメンル・ジャーニー先生よろしく、ひどく感傷的な気持ちになってしまった。
時計は午前5時、おじいちゃんかよ。
ケータイの受信を確認、ぼっちかよ。
口は苦いし、服はベタベタしているし、気分は最悪だ。
セクシーシーンということで、シャワーを浴びながらお色気ムンムンなアクセントで、
「風邪かー」
などと呟いてみる。
無論リュックのことだ。
なによりつらい事柄である。ポーション配給用NPCが風邪とは、なんとも皮肉な話じゃないか。
バグの原因がウイルスかもしれない。その可能性を挙げられた以上、やはり運営の人間にリュックを見せるのは、非常に危険なんじゃないか?
はぁ……。心の中までため息が溢れる。
昨日の母親の話、ヒイラギくんに伝えていいのだろうか。
「あ、竜之進……」
それすら伝え忘れていたのか俺は……。
風呂から上がり、全裸で歯ブラシを握る。おおっとこっから先はR指定だ……ぜ。
ダメだ、ぜんぜんやる気が出ない。
リュックが自我を持った原因がウイルスだと前提して、なぜリュックが感染した? 二番目の街では一番多く話しかけられるかもしれない。だが、それでも〈セントラルライセンス〉の基礎ギルドのNPCたちと比べると、だいぶ劣るだろう。
かといって、他のNPCにリュックと同じ兆候が出ているか、と言えばそんな噂もきかない。
つまり、〈Dragon Obey Licence Online〉でウイルスに感染しているのは、確認されている限りリュックただ一人。NPCの数は、各地に点在するNPC村も考えれば千や二千じゃ済まないはずだ。
それに、感染するのか? リュックが抱えるウイルスというものは。
二階に戻り、ノートを開く。
俺は考えるのが嫌で、勉強に逃げた。
「父さん、そろそろ起きなー」
『セカンドライフ』を被っているからにはフルダイブしているんだろうな、と思ったら、純粋に寝落ちしているだけだった。
「起きろよ親父。もういい時間だよ」
「おぉ……」
「まったくさー。何時までやってたの?」
「3時……」
さっきじゃん! 頑張りすぎだよ四十すぎ!
「風呂入ったの? ちょっと汗臭いよ?」
「入ったー。大丈夫ー」
父はテーブルに用意された朝ごはんを食ながら、徐々に目を覚ましていく。
「風太ってネカマしてる?」
「親子の会話じゃねぇよ。やめときなさい」
「おや、なんか最近、親子の会話ってのしてなかったからさ」
「誰のせい!?」
忘れちゃった!? 喜々としてゲーム買ってきたおっさんのこと!!
「だってドーロでも一度も会ってないし」
「こっちはのんびり進めてるんだよ。あ、母さんとは今日会うよ。もしかしたら火燐と雪緒も」
そう言った瞬間、父は威厳もへったくれもなくヘソを曲げた。
「いいんだー、どうせお父さんがネカマしててキモイから仲間はずれなんだー」
「キモイよ! 威厳なくなるどころの話じゃねぇよ!」
「だって第二の人生ですよ? おっぱい大きい子がさぁ」
「母ちゃんに聞かれたら、その第二の人生ぶち壊されるよ?」
『セカンドライフ』を指さしながら言うと、父は黙々と食べ始めた。失笑しかできない。こんな父でも、元気にしてくれるものなのだな――意識はまったくないだろうけど、それでも良いもんだよなー。
「あ、いけね、今日木曜日か! 会議の準備してねー。やっぱ帰れないかー今日……」
「頑張ってよ、お父さん」
「うへぇー……」
スーツに着替えた父を見送り、俺は家族分の食事の準備をする。
母が起きたのは、結局裁判が始まる5分前だった。
『夕日の街奉行所』
そう書かれた建物に、俺たち三人姉兄弟はいる。
とは言え、お互い初顔お合わせであるため、見つけるにはちょっとした、本当にちょっとした苦労があったが、それは割愛しよう。
まずは姉、火燐。火などという名前の通り、炎のように真っ赤に揺らめく髪の女性アバターだった。種族は〈魔族〉。飛行能力に加え、魔力の高さ、物理攻撃のバリエーション。そのぶん限定されているライセンスを気にしなければ、戦闘能力で右に出る種族はいない。
つぎは弟、雪緒。特出すべき様相はない、単純の〈亜人〉に見える。もっともそれは昼の姿だ。弟は白い〈亜人・ワーウルフ〉の男性。陽が沈んでからは無類の強さを発揮する種族だ。……とはいえ、その武装はいったいなんなのかね?
「これね! オリハルコンで作った大剣! 名前だせぇけど、超つえぇんだ!」
「オリハルコン?」
なにそれ、どこの伝説?
「あたしのもすごいんだよ! 見ててね!」
姉の持つ諸刃の剣。鍔を見ても、そこまで高そうなイメージはない。ところがどっこい、火燐が柄をクイっといじるとその刃が崩れた。
何事かと思ったら、これアレだ、ええと、あの、アニメとかでよくある、ジャラジャラした、蛇みたいな剣! 敵がよく使うヤツ!
「蛇剣〈ガラ・ラ・ラミア〉。初見殺しのゴーランドとはあたしのことよ!」
うっわ厨二くせぇ! なんだよゴーランドって。しかも『ラ』が多いな。
「ちなみにあたしのはアロンダイト!」
だから、どこの伝説なんだよ。
しかも伝説顔負けの品質なんだけど……。大剣が品質245で、長剣が品質150。勝手にインフレ起こさないでもらえますかね?
防具もチラっと〈鑑定〉してしまったが、もう二度と見ないと決めた。
「もーいやだ! 母ちゃんまだかなー!」
すでに開場はしている。
いい加減お茶にも飽きてしまった。ゲームの中で、無料で食べられるとはいえ、お茶と茶菓子くらいなら家に常備してある。
「いま起きたって! すぐ来るっぽいー。風太頑張れー!」
「兄ちゃんいけー!」
と、姉と弟の声援を受け、和服のNPCの女性に案内される。
通路を進むと、純和式には似合わない、ゴツゴツしい扉の前まで案内された。
「どうぞ、この先になります」
「はぁ……、えっと、弁護士はあとから来ますけど、大丈夫ですかね?」
「はい、かしこまりました」
ペコリ、と大きく頭を下げるNPCに催促されるように、俺は両手で扉を押した。
「おおおー!」
法廷だー! 見たことある! 小学生の頃コレ見た! 友だちが「わかんないから死刑」って言っている画像がすげぇ出回ったのは良い思い出(この作品はフィクションです)!
さきほどまで奉行所にいたのだが、この部屋だけは裁判所だ。そういう設定なのだと納得させていただく。
まず、部屋の奥に座る裁判長は髭の似合う黒服のおじさまだった。その両脇には男女の裁判官が二人。そして、将棋で言うところの歩兵の位置に、裁判員と思われる私服の人が8人並んでいた。アイコンを見る限り、全員NPCである。
気圧されたので傍聴席に視線を移すと、そこに姉と弟が手を振っている姿が見えた。
「母さんはー?」
コンコーン!!
軽快な木槌の音が法廷に響く。なんかめっちゃ雰囲気あるな……。
裁判長の目に怯え、俺は上手側の自分の席に着く。三角形の立て名札の『クロカゼ伍長』という名前が、なんとも哀愁を誘うじゃないか。
席に座った直後、屋敷内の時計が、ボーン、ボーンと鳴り出した。しかも鳴り止まないうちに
「それでは開廷します」
と裁判長が仕切り出すので、俺は戸惑ってしまう。救いを求めるように家族に視線を送る。そこにはすでに興味を失った弟と、ネットの海に潜っている姉。いや、ホントお前らホント……。
諦めかけたそのとき、俺が入ってきた扉がババン!! と開かれる。
そしてそこには、真っ赤なビニールを身体に巻いた露出狂こと……たぶん俺の母親が立っていた。
「おまたせ風太! ってなにあんたあはははは!! ムッキムキー!!!」
いや、あんたには笑われたくないんだけど、えっと……なにごとなのそれ?
種族はおそらく〈リザードマン〉。ほとんど〈人間〉にしか見えないが、ところどころで光を反射する鱗のような皮膚と、ギザギザの歯は他の種族で思い当たるものはなかった。
いや、しかし種族なんぞどうでもよくなるくらいの格好だな。
イケメンの男だということはわかっている。だが、それ以上の情報を一切受け付けたくないその姿。
俺の格好も、露出狂と言われてばそうかもしれない。素肌にオーバーオールとなると、完全にガテン系で、兄貴要素が満載されている。
だが、母のアバターには、むしろ、なんというかベーコン&レタスというか、オチなしヤマなし、イミはなし的な、そんな病的な匂いを感じてしまう。
胸と腰には赤いビニールが巻かれ、その、Vゾーンというべきところから、際どい下着が見え隠れ……していない。見えている。
――え、イヤだ。
さすがに母も俺の視線に気づいて、アセアセと言い訳をし始める。
「こ、これはね風ちゃん、お母さん、アバターの名前とイメージをできるだけ近づけようとね、あのね」
コンコーン!!!
さきほどより大きな音で木槌が叩かれ、家族の視線がそちらに向く。
「静粛に!」
「相談中!」
裁判長にそう言い切った母親は、なにか説明していたようだが、本当に興味がなかった。
興味があるとすれば、下手側に座っている、パーマ頭のパーマイヤーだ。そんな出オチなキャラにも関わらず、俺を訴えたNPCでもある。
「わかってもらえたかな!?」
「あぁ、うん、わかった。よくわかった」
一度失った信頼というものは、取り戻すのに大変な努力が必要だということだ。
本物の裁判官って木槌持ってないんですって。
なんか残念ですよね




