二話
「エリア七千六百地点、午前、十時と十二分七秒。ターゲット、見失いました」
「なーんだかなぁ」
シェリルの邸宅から少し離れた屋外。黒衣を纏った二人組みが辺りを見渡していた。その片方は通信機で連絡を取り、もう片方は腕を組み、諦めているかのような口調で呟いた。
「古の魔女はもう死んでるんだしさぁ、こんなに血眼になることないじゃん?アタシさぁ、別にやりたくてこんなことしてるわけじゃないしぃ」
「通信、終了しました。任務失敗、ただちに帰還姿勢を取るべきかと」
「…はあ、アンタとアタシじゃまともな会話もできないし」
通信機を切った片方の女は、悪態をつく少女を一瞥して手のひらを大きく地面へとかざした。
すると地面に突然黒い弧が描かれ、その黒い弧にきれいに重なるように深く暗い穴が突如出現する。少女の方は気に食わない様子で女を見つめていたが、やがて何を言うでもなくその穴に飛び込んでゆき、女も続いて穴へと飛び込む。
女のフードが完全に漆黒へと飲まれると、穴はあっという間に地面へと戻り、何事も無かったようにその場所にはすっと風が吹き抜けていった。
その後、ブラックファイアの動向を暫く伺っていたシェリルはもう完全に人影が無くなったのを確認して屋敷から数歩歩き出す。背後に張り付いていたロイズはそんなシェリルの横顔を見つめてまるで自分が危ない目に遭ったかのように小さく安堵のため息をついた。
「いやあ危なかったね、シェリル。オジさんドキドキしちゃった」
「あなたのお陰でつまらない時間を過ごしてしまいました」
そう悪態をつきつつ、シェリルは胸元から小切手を取り出し自分のサインを素早く書くと押し付けるようにロイズに突きつけ、髪を払った。
ロイズは小切手を落とさないようにしっかり両手に抱え、シェリルを見遣る。
「それだけあれば借金も返せてしばらく生活もできるでしょう。失業しているわけではないのですから、これ以上バウスフィールド家には関わらないで下さいますか」
「こんなに大金…なあシェリル俺はお前を」
「それでは私はこれで失礼します」
ロイズの一言を、既に悟っているかのように、はたまた聞く気が全くないように、シェリルは自分の言葉でかき消して歩き出した。付いて来られるのが面倒だと感じたのか、小さく唇を動かして言葉を口にすると、すっとシェリルの体は霧散してしまい、ロイズは伸ばした手のありかを探すように一度拳を握り、深くため息を吐き出した。
彼女の周りには常々、彼女の財産を求めて親戚が一緒に住むことを進言している。
魔術の全てを把握しているだけあってか、賢い彼女は全くそれらの言葉を信用することなく、指先でつま弾くように親戚たちを跳ね除け、一人、彼女には広すぎる豪邸で暮らしている。
ロイズは全く信用のない自分が、彼女と暮らしたいと口にすることがどれほど浅ましく見えるかを考え、冷たく接する彼女に心を痛めていた。
手のひらに握らされた小切手に力を込め、ロイズは項垂れる。
彼女と暮らしたいという気持ちに下心がないにせよ、その手に握らされた大金は結局の所、彼女を裏切っているのだ。
ロイズはシェリルの邸宅を眺め、背中を丸めて歩き出す。出社時刻はとっくに過ぎていた。
学校に着いたシェリルは、誰も自分が突然この場に現れた所を見ていないか確認をし、平静を装ってまるで歩いてきたかのように門まで悠然と歩いていった。
彼女は自分が魔術を使える古の種族であることを公言せず、極力魔法は使わないように祖母に言いつけられていた。
先ほどのブラックファイアがいつ何時、魔術を使える者を狙うとも分からないし、魔術は多かれ少なかれ、人を不幸に陥れるように出来ている、そう教わっているのだ。
ミュータントの特殊能力と違い、代償がいる力であること。その代償は自ら望んだものになるとは限らないことをきつく言われているのだ。
シェリルが玄関口まで歩いて行くと、ふと、人ごみが出来ているのに気がつき、歩みをゆっくりとした速度に変え、やがて立ち止まる。
人ごみの真ん中の人物は、エントランスのど真ん中で一段、階段に足を掛けて何かを語っている。
普段こう言ったアクシデントなどに首を突っ込みたがらないシェリルではあったが、場所が場所な為、足止めされて聞き入れば、すぐにその場に居なければならないとすら思える理由となった。
エントランスの真ん中で両手を広げている少女は、高らかに宣言する。
「私はこのビライドの優劣に疑問を抱きます。この世界で一番の能を持つのは古の種族、つまり魔術という至高の叡智を物にする者。この私がそうであるように」
シェリルは耳を疑う。彼女は一体何をのたまっているのか。一瞬停止した思考回路は彼女の存在を脳内から叩き出す。勿論、親類ではない。魔術の叡智を把握できる伝えられたもの、シェリルは苦い表情をして彼女を見つめる。
どよめく観衆はそれぞれの思いを口で、あるいは胸で呟きながらただ一点、古の種族と自称する少女を唖然として見つめるのであった。そう、シェリルと同じように…。