第一章 魔女狩り
シェリルの日常は、17年間変わったことがなかった。しかしそれは祖母と父が亡くなる三年前からじわりじわりと変わりつつあり、その原因の一番は祖母が亡くなったこと。つまり、シェリルの安寧は祖母であるエミリアによって守られていたということだ。
屋敷に一人きりとなってからは、父の兄やら、母の妹の娘やら、見たことも会ったこともない親戚が押し寄せては、どうだろうか、一緒に住まないだろうかと優しい声を掛けてゆく。
そしてシェリルはその度、その言葉の背後に遺産を見つめる視線を感じて首を振ってきた。
シェリルが住まうバウスフィールド邸には、まだ成人もしていない少女が抱えるには大きすぎるほどの莫大な遺産の他に、祖母が残した叡智の断片と呼ばれる魔術書が残されている。
古代文字を解読ができる古の血族の中でも、本当に濃い血を別けた者だけが解読することができると言われる、黄金にも代えられない大切なものだ。勿論シェリルは叡智の断片の全てを把握している。
幼い頃より、シェリルはエミリアから教育を受け、その才能が相まってか魔術は自由にその小さな手の平に操られていた。
エミリアはミュータントがこの世界を統べる前に、シェリルにこんなことを言った。
「シェリル、この世界には新しい何かが生まれる。それはお前にとって良くも悪くも必ず関わってゆくだろう、お前はお前の意志でこの叡智を求め、使役なさい。ただそれが正しいことなのか、よく考えることだ」
シェリルはその意味をしっかりと理解してはいなかったが、祖母が言うことは必ず頷き心に留めた。
そうして今、祖母がいない世界でその意味を改めて考えるのだ。
「シェリル」
屋敷から出て、学校へ向かうシェリルを止める声があった。
シェリルは声に反応して一度足を止めたが、また再び歩き出して振り返ることはしない。
声を掛けた男は尚も、シェリルの名を呼んだ。
「おいシェリル、シェリル!」
「…何の用です叔父様」
赤茶をした髪があらゆる方向に好き勝手はねていて、身を包むその服装は質素。よれよれのシャツに僅かにシミが滲んでいる。脇には今朝の新聞を抱えて、片手を大きく振りながらシェリルの後を追う。
「はは、足が速いな、おじさんついてくだけで息が切れちゃう」
「……お金が必要なんですね」
「…いや、参った参った…」
シェリルは深くため息をつき、叔父である背後の男にようやく振り返った。
「一体いつまで私につきまとうんですロイズ叔父様。お金が必要ならお仕事してらしているんですからご自分でまかなって下さい、独身なのですし」
「やあ、シャルロット。おじさんこう見えて借金しているんだ、お金ないんだよぉ」
「こう見えてもどう見えてもそんなことは一目瞭然ですが、あなたの借金を払ってやるほど、バウスフィールド家は甘くありません、どうぞお引取りください」
ツンとした態度を貫き、その一言だけ返すとタクシーを拾おうかとシェリルは辺りを伺った。ふとそんな何気なく遣った視線の先、見慣れた黒のフード姿の人物を二人見つけ、シェリルは一瞬、息を止めた。
(ブラックファイア…!)
どうやらシェリルの家を捜しているらしい。きょろきょろと落ち着き無く視線を遣る二人組。その服には大きく、炎を象った紋様が描かれている。ブラックファイア、魔術を粛清するミュータントで構成された組織。シェリルはすぐさま叔父であるロイズの首根っこを引っ張って屋敷に逆戻りした。
「な、なんだいシェリル。もしかして…おじさんにお金借してくれるのー?」
「馬鹿言わないで下さい、ブラックファイアが屋敷を見張っていたんです」
幸い、この屋敷にははっきりとした血族でなければ入れない特殊な魔法がエミリアによって施されている為、いくら超現象が起こせるミュータントといえど目にすることすらできない。
「ブラックファイア…」
「まさかあなたの差し金じゃあないですよね?」
「ははは、おじさん信用ないなぁ」
「…当然です」
諦めたのか、姿を消した二人組みに安堵の息をつき、シェリルはゆっくりと立ち上がる。
「ブラックファイア…面倒な組織…」