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第1話:モンスターヤクザの『合法』を、物理の『破壊力』で分からせる。

 世界が、真横に九〇度傾いていた。


 流れる雲も、王都の石造りの街並みも、すべてが垂直に切り立っている。

 口の中に広がった強烈な鉄の味と、側頭部を焼くような激痛で、アレンは自分が路地裏の泥水に顔を半分沈めているのだと理解した。


「がはっ、ふぅ、う……!」


 肺に溜まった血を吐き出しながら、アレンは世界を強引に元の角度へと引き戻す。

 歪んだ視界の先で見下ろしてくるのは、仕立てのいい高級スーツの袖を捲り上げた、大柄なオーク──『猪頭組ちょとうぐみ』の構成員・ガルバだ。


 ガルバの緑色の分厚い皮膚には、これ見よがしにド派手な原色のカラー刺青(魔痕紋様)が彫り込まれていた。

 緑の肌に負けない鮮烈な赤と紫のインクで描かれているのは、のたうち回る巨大な『大蛇オロチ』。それが人間の生首を血だらけの顎で貪り喰らっている、おぞましい極道の絵柄だ。

 ガルバが呼吸を荒くするたび、大蛇の目が魔力でドクドクと不気味に発光し、アレンを威嚇するように蠢いて見える。


「おいおい、またお前かよアレン。本当に懲りねえなぁ、騎士のせがれが」


 ガルバはせせら笑いながら、足元でガタガタ震える人間の少女の髪を掴み、無理やり顔を上げさせた。

 少女の瞳は不自然に充血し、焦点が合っていない。腕には魔力を直接摂取した注射の痕がいくつも残っていた。モンスターどもが裏で流している違法魔力に脳を焼かれた、悲惨な『魔中マチユウ』の人間ジャンキーだ。


「前も言ったろ? 魔法も使えねえ人間の騎士なんてな、うちの組の下っ端ゴブリン以下なんだよ。この『魔中』の女だってなぁ、うちの組から買った上質な魔力クスリの代金が払えねえから、こうしてケジメつけてシノギになってもらってんだわ。無資格のガキがヒーローごっこで手ぇ出していいシマじゃねえんだよ!」


「くっ……そ……!」


 アレンは壁に手をつき、どうにか立ち上がる。

 勝てないと分かっていても、引くわけにはいかない。人間を魔力ドラッグ漬けにし、法律という盾の裏で合法的に飼い殺しているバケモノどもに、魂まで屈したくはなかった。


「そこまでだ!」


 その時、騒ぎを聞きつけた警察(衛兵)たちが、槍をガチャガチャと鳴らしながら路地裏にドタドタと駆け込んできた。


(警察……! 助かった……!)

 一瞬、アレンの胸に安堵が過った。だが、駆けつけた警察たちの顔を見た瞬間、その希望は凍りつく。


 彼らは血を流すアレンと、髪を掴まれた『魔中』の少女を見るなり、悔しそうに奥歯を噛み締め、顔を青ざめさせた。そして、震える手で槍の矛先を向けたのは……あろうことか、オークではなくアレンの方だったのだ。


「やめろアレン! それ以上手を出すな!」

「な、にを言ってるんだ……! 警察あんたら、そいつは、その子は──」

「黙れ! 頼むから引いてくれアレン!」


 若い警察のひとりが、悲痛な声を張り上げる。その瞳には、モンスターを逮捕できない己の無力さへの怒りと、アレンへの必死の制止が混ざっていた。


「猪頭組のガルバ殿は『特区の特別生存権』を認められた正当な構成員だ! 明確な傷害致死傷の現行犯でもない限り、こちらから手を出せば警察側が法律違反になる! あいつらが少しでも不利になれば、王都のエリート弁護士たちが『法の手続き』として動かざるを得なくなるんだぞ……! ここで揉めれば、お前が傷害罪で収監されるだけでなく、被害者の少女の立場だって悪くなるんだ!」


 警察たちだって、あいつらをブッ飛ばしたいのだ。だが、歪んだ法の網の目に手足を縛られ、市民を守るための警察が、市民を縛る盾にされている。


 オークのガルバは、警察たちの悔し涙を浮かべんばかりの態度を見て、大仰に肩をすくめてみせた。その背中、原色のインクで彫られた「人間の生首を貪る大蛇」の刺青が、勝利を誇るように妖しく明滅する。


「おいおい、聞いたかよ警察の旦那ぁ。そこのお坊ちゃんは、正当なビジネス(債務回収)をしてる俺にいきなり殴りかかってきたんだぜ? ──おいアレン、法律違反(ルール違反)をしてるのは、お前の方なんじゃねえのか?」


「くっ……、そ……っ!」


「俺たちはどこまでも『合法』。お前はただの『犯罪者』だ。せいぜいその無駄に高い正義感おもちゃを抱えて、泥水でもすすってな。──行くぞ、お前ら」


 ガルバたちは、警察たちが悔しさに拳を握り締め、道をあける中、みかじめ料の袋を鳴らしながらアレンを嘲笑って路地裏の奥へと消えていった。


「おい、アレン、大丈夫か……」


「……」


 衛兵(警察)のひとりがおずおずと声をかけてくる。その手はまだ、申し訳程度に槍を握ったまま震えていた。

 彼らだって、本気で悪事を許したいわけではないのだ。ただ、法律の網の目を完璧にハッキングしているモンスターの『組』が恐ろしい。一度法の手続きの不備を突かれて法廷に引きずり出されれば、ただの衛兵など『不当な公務執行』として簡単に社会的に抹殺される。それが分かっているから、日和るしかない。


「おい、これに懲りたらもうあいつらには──」


 さらに続く衛兵の言葉を、アレンは無言で遮った。

 何も言わず、ただ静かに、壁から手を離して歩き出す。


「あ、おい! まだまともに歩けないだろ!」


 背後から引き留める声を、アレンは完全に無視した。

 彼らにぶつける怒りすら、今の自分には残っていない。言葉を交わしたところで、この世界の歪んだ『ルール』が変わるわけではないのだ。


 割れた唇から流れる血を手の甲で拭い、引きずる足を無理やり前に動かす。

 頭の中にあるのは、せせら笑っていたガルバの顔と、それを守った『法律』という名の不条理。


(正義感なんて、ただのおもちゃだ……。魔法も使えない、法も味方してくれない人間が、どうやってあいつらを……っ)


 答えのない憤怒と無力感に胸をかきむしられながら、アレンはフラフラと、吸い寄せられるように人の波へと混ざっていく。


 ──その時だった。


 ──プァァァァァァーーンッ!!!


 突如として、王都の空にけたたましい真鍮のトランペットの音が鳴り響いた。

 それに続くように、ドンドコ、ドンドコと、内臓を揺らすような太鼓の重低音が、一定の恐ろしいほど正確なリズムを刻みながら街に広がっていく。


(……なんだ? パレードか……?)


 それはお祭り騒ぎのようでありながら、今までのどんな祝祭の音楽とも違う、聴いたこともない奇妙な演奏だった。妙に規則正しく、聴いているだけでなぜか足並みが揃いそうになる不思議な音の嵐だ。


「おい、なんだありゃ?」

「新手の見世物か? どこで鳴ってんだ? 中央広場の方か?」


 異変を感じたのはアレンだけではなかった。街の若者も、老人も、何が起きているのか分からぬまま、その奇妙なパレードの音に誘われるようにしてゾロゾロと路地から顔を出し、広場の方へと歩き始めている。緊迫感などない。ただの好奇心と野次馬根性で、街全体が中央へと吸い寄せられていく。


 アレンもまた、その大勢の流れに押し流されるようにして中央広場へと足を踏み入れた。


 ──そして、その光景を目にした瞬間。

 広場に集まった群衆の間に、戸惑いを含んだ低いうねりのようなざわめきが、瞬く間に広がっていった。


「おい、見ろよこれ……」

「なんだってこんなに警察が集まってんだ……?」


 集まっているのは人間だけではない。仕立てのいいスーツを着た『リザードマン』の幹部や、その腰巾着のようにニヤニヤと品定めをする『コボルト』のチンピラどもも、何事かと前列に陣取っている。怯えて距離を取る人間の野次馬たちを鼻で笑いながら、モンスターどももまた、この奇妙なパレードの正体を値踏みするように見つめていた。


(なんなんだ、この警察の数は……っ!?)


 響き渡る賑やかな音とは真逆の、笑顔を一切排した異様な数の警察官たちが、広場を埋め尽くして強固な『壁』を形成していた。何が始まるのかも分からず、群衆も、そしてモンスターヤクザどもさえも、その威圧的な光景に圧倒されてざわざわと囁き合っている。


 何かが起きる。それも、この国の歴史を根底から引っくり返すような何かが。


 警察たちが必死に防いでいる防衛線の「内側」。

 アレンの目がその中心を捉えた瞬間、全身の血が総毛立った。


 そこに整然と並んでいたのは、アレンが今まで生きてきて、ただの一度も見たことがない兵士たちだった。


(……なんだ、あの鎧は……!)


 それは、王都の伝統的な白銀の甲冑ではなかった。

 赤と黒。

 返り血のような深い赤と、無機質な黒。その二色に塗りつぶされた、禍々しいほどに実戦的な鉄の鎧を纏っている。

 彼らは一言も発さず、ただ彫像のように直立していた。胸元には、見たこともない『炎の中に浮かぶ鉄の甲羅』の紋章。そしてその背には、魔法の杖ではなく、不気味な鈍色に光る太い鉄の筒(銃)を背負っている。


 その一糸乱れぬ規律と、魔法を一切感じさせない『圧倒的な物理の質量』に、広場を埋め尽くす群衆も、いつもは傲慢なモンスターどもも、完全に気圧されて声を失っていた。


 静寂が、広場を支配する。

 警察たちの防衛線の真ん中、赤と黒の兵士たちが左右に分かれ、壇上へと続く道を開いた。


 ガチャリ、と重厚な鉄靴が地面を鳴らす。

 誰もが固唾を飲んで見守る中、そのステップを刻みながら、一人の男がゆっくりと台の上に登っていくのが見えた。


 その男の姿が魔導拡声器の光に照らされた瞬間、アレンは自分の目を疑った。


「……おや、じ……?」


 割れた唇から、掠れた声が漏れる。

 そこに立っていたのは、国のどの派閥にも属さず、出世街道からも外れて、家でも滅多に口を開かないアレンの誠実で寡黙な父親──バルトだった。


 バルトが演説台の前に立ち、ゆっくりとマイク(魔導拡声器)に手をかける。


 その一連の動作は、驚くほど静かで、一見するといつも通りの「落ち着いた父親」そのものだった。取り乱す様子もなければ、気負った風もない。


 だが──アレンの目だけは騙せなかった。


(違う。……あんな親父、見たことがない)


 壇上のバルトから放たれる、張り詰めた空気。その双眸に宿る光は、家で寡黙にスープを啜っている時のそれとは完全に一線を画していた。

 この歪んだ国で、派閥のどこにも属さず、孤高の騎士として刃を研ぎ続けてきた男。その彼が、人生のすべてを賭けてこの場に立っている。その凄まじい「真剣さ」が、肌を刺すようなプレッシャーとなって広場全体に伝播していくのをアレンは感じていた。


 ゴクリ、と誰かが唾を呑む音が、異様に大きく響く。

 バルトが口を開いた。拡声器を通じて、重厚な低音が王都の空を震わせる。


「──我々は魔法を持たない。だから、負け続けた」


 最初の一言は、人類の敗北の歴史をそのまま肯定する、冷徹な事実の突きつけだった。


「法という盾に隠れ、地下の悪党どもに利権を貪られ、ただ蹂躙される日々に甘んじてきた。警察すら法の網の目に縛られ、目の前の理不尽に日和るしかなかった。それが、我々人類の不甲斐なき現状だ」


 アレンの脳裏に、さっき路地裏で自分をせせら笑ったオークのガルバの顔と、日和った衛兵たちの姿が蘇る。アレンだけでない、広場を埋め尽くす人間たちの胸に、これまでの人生で味わってきた「おかしいだろ」という怒りと苛立ちが、重く、深く蓄積されていく。


 モンスターたちが、鼻で笑うように口元を歪めた、その瞬間だった。


「──だが、それも今日までだ」


「法に守られていると胡坐をかき、我々を家畜と見下す化け物どもに、人類の真の知恵を教える時が来た。我々は一切の魔法を使わない。代わりに──この『鉄』と、『火薬』と、一糸乱れぬ『組織』の力を用いる!」


 バルトが手を掲げると同時に、赤と黒の兵士たちが一斉に背の鉄筒(小銃)を構え、王都の空へと向けた。


「王国甲炎軍、放て(ファイア)ッ!!」


 ──ズドオォォォォンッ!!!


 鼓膜をブチ裂くような、凄まじい大轟音。

 何百発もの爆炎と銃声が同時に炸裂し、王都の空が文字通り真っ赤に染まった。大魔法の詠唱すら一瞬で掻き消すような、圧倒的な「現実の破壊力」が、広場を震わせる。


 ひっくり返ったような大音響に、モンスターどもが初めて恐怖に顔を歪め、ガタガタと後ずさりした。


「魔法に勝つ日が、今日から始まる!」


 ──ウオオオオオオオッ!!!


 広場を埋め尽くした群衆から、地鳴りのような大歓声が湧き上がった。

 それは、これまで百年近くバケモノどもに舐められ続けてきた人類の、魂の咆哮だった。


「魔法に、勝てる……!?」

「あの鉄の筒はなんだ!? 魔法じゃないのに、あんな凄い音が……!」


 人々の目は完全に据わっていた。バルトの演説と、空を切り裂いた爆音に、街中の人間が瞬時に奮い立ったのだ。

 一刻も早くあの赤と黒の列に加わりたいと、広場に設けられた「王国甲炎軍・志願受付所」へと人の波が殺到する。


 その流れは、もはや誰にも止められなかった。

 血気盛んな若者たちはもちろん、戦いにおいて何の役に立つのかもわからない老人までもが、「俺も、俺も連れて行ってくれ!」と目を血走らせて押し寄せている。これまで「ルール」という合法的な檻の中で飼い殺されていた全人類の怒りが、一気に決壊したのだ。


 アレンもまた、その凄まじい大勢の流れの中にいた。


(あの軍隊なら、親父の言う通りなら……あのクソヤクザどもを、本当にブッ潰せる……!)


 さっきガルバに殴られた脇腹の激痛など、とうに忘れていた。ただ、未来への前のめりな期待と興奮に突き動かされ、アレンは人の波をかき分け、必死に申込書のある受付デスクへと手を伸ばそうとする。


「おい、押すな!」

「俺が先だ! 頼む、入隊させてくれ!」


 揉み合う群衆。怒号と熱気が渦巻く中、アレンはどうにか申込書の束が置かれた場所に辿り着き、乱雑に置かれたペンを掴もうとした。


「お、やじ……」


 アレンが絶句する中、バルトは傷だらけの息子の顔を、じっと見つめていた。

 その目は、アレンが今日まで街の理不尽に立ち向かい、そのたびにボロボロになって帰ってきた姿を、すべて知っている目だった。空回りする正義感だと切り捨てず、その魂が折れていないことを、父親だけは信じていたのだ。


 バルトは何も言わず、大きな手をアレンの泥まみれの肩に置いた。それだけで、万言の言葉以上の信頼が伝わってくる。


「志願書は不要だ」

 バルトの低く、確固たる声が響く。

「お前の鎧は、とっくに用意してある。王城の兵舎へ向かえ」


「……っ、はい!」


 アレンは強く頷いた。

 周囲の若者たちが羨望の眼差しを向ける中、アレンは踵を返し、胸に熱い期待と闘志を漲らせて王城へと走り出した。


 ◇


 王城の地下兵舎。

 そこに用意されていたのは、先ほど広場で作戦行動を行っていた兵士たちと全く同じ、深い赤と黒に染め上げられた鉄の鎧(近代軍服)だった。


 衣服の上から、ずっしりとした金属の質量をその身に纏う。

 それは、これまで人類を縛り続けてきた、あの歪んだ『法律』という名の檻をぶち破るための、新たなシステムの重みだった。


 最後に、鈍色に光るアーティファクト解析済みの近代小銃を背負う。ガシャリ、と鉄の冷たい音が心地よく響いた。


「よく似合っている」


 振り返ると、いつの間にか兵舎の入り口にバルトが立っていた。

 同じ赤黒の鎧を纏った父親は、一人の『軍人』として、息子のアレンを真っ直ぐに見据える。


「アレン。身内の贔屓ひいきは一切ない。お前は一兵卒だ。最も過酷な、最前線を任せるぞ」


 軍団長の息子だからと特権は与えられない。泥泥の最前線から、己の力で戦果を掴み取れ。その厳しくも愛のある言葉に、アレンの唇が不敵に吊り上がった。

 これまでの無力だった自分は、もうどこにもいない。手には、バケモノの魔法を強制キャンセルする『鉄と銃』がある。


「望むところです、軍団長」


 アレンは力強く頷き、バルトに拳を胸に当てる甲炎軍の敬礼を送った。

 バルトもまた、満足げに一つ頷き、道を開く。


 アレンは迷いのない足取りで、王城を背に歩き出した。


 軍靴が刻む、一糸乱れぬ鉄の足音。

 向かう先は、王都の地下に広がる、あのヤクザモンスターどもが法律の裏に隠れて肥え太る暗黒のダンジョンだ。


(待ってろよ、ガルバ。……これより、王国甲炎軍の『ガサ入れ』の時間だ)


 引き金にかける指に力を込め、青年は人類の反撃の最前線へと、堂々と突き進んでいった。


【鉄と銃のガサ入れ前夜・完】

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