8
港の部屋。
天井のライトは消して、ベッドの横の小さな間接照明だけがついていた。
オレンジ色のやわらかい光に照らされた室内は、外の世界と切り離されたみたいに、静かでやさしかった。
港はベッドに座っていて、黎は床に置いたクッションに腰を下ろして本を読んでいた。
この空気も、もうすっかり馴染んでいた。
ふたりとも、声を出さなくても息の仕方が似てきたようで、同じリズムで落ち着いていくのが分かる。
ふと、港がぽつりと呟いた。
「……なあ、黎」
「ん?」
「いつも、ありがとね」
黎は視線を上げて、港の顔を見た。
港は、どこかくすぐったそうな笑みを浮かべていた。
「抱きしめてくれたり、撫でてくれたり、頭を預けさせてくれたり。
そういうの、すっごく嬉しいし、救われてる」
黎は少しだけ照れくさそうに笑った。
「……そりゃ、俺がしたくてしてることだしな」
「うん、だから今日は――」
港が身を乗り出して、黎の手をとる。
やさしく引っ張って、ベッドの上に誘った。
「今日は、黎の番ね」
黎の眉がほんの少しだけ上がる。
「え?」
「甘やかされてばっかりだから、たまには黎も“される側”になってほしいの」
「いや、俺は……いいから」
すぐにそう返ってくるのは予想通りだった。
黎はいつだって「与える」側にまわろうとする。
「受け取る」ことに慣れていない。
それが、港にはよく分かっていた。
だから、港は引かなかった。
「ダメ。今日は、俺がしたいの。ね?」
黎が言葉に詰まったまま、港を見つめ返す。
その目は、本気だと語っていた。
「……そっか。
じゃあ……少しだけ」
「全部でいいよ」
港がにっこり笑って、黎の手を引いたまま、抱き寄せた。
腕を広げて、その中に黎を包み込むようにして。
「ほら。甘えていいよ」
黎は少しだけ身体をこわばらせて、それから、ため息みたいに息を吐いた。
ゆっくりと、港の胸元に顔をあずける。
「……こんな感じでいいのか?」
「うん。すごくいい」
港の手が、黎の背中をゆっくり撫でる。
優しく、等間隔で、まるで黎が普段自分にしてくれているみたいに。
「いつも俺が頼ってばっかりだったからさ。
黎にも、こういうの必要なんじゃないかなって思ってたんだ」
「……俺は、別に……」
「強がらなくていいよ。
俺、黎がときどき疲れてるの、ちゃんと気づいてるから」
黎の肩が、ほんの少し震えた。
それは泣いているわけじゃなくて、
たぶん、堪えていた何かがほどけそうになっているから。
港は何も言わず、ただ抱きしめた。
片手で髪を撫でて、もう片方で背中をとんとんと叩く。
黎は、しばらく何も言わなかった。
けれどそのうち、ぽつりとこぼす。
「……俺、お前にこんなことされる日が来るとは思ってなかった」
「でも、ちゃんと来た」
「……ああ。来たな。お前、ずるいな。あったかすぎて、泣きそう」
「泣いていいよ。俺しかいないし」
「……ほんとずるい」
港はそれを否定しなかった。
むしろ、自分が“黎にとってずるい存在”であることに、少しだけ誇らしさすら感じていた。
「……ありがとな、港」
「こちらこそ、ありがと。いつも」
ふたりの間に沈黙が戻る。
けれどその沈黙は、ひどくやさしくて、あたたかくて。
港の胸に顔を埋めた黎の背中が、少しずつ力を抜いていくのが分かった。
そして港は、静かに思った。
――この世界は、まだ“休憩ループ”のままでいい。
黎がこうして甘えてくれるなら、もっともっと、ここにいたい。
今だけは、自分が守る番だから。