7
夜、港の部屋は静かだった。
リビングのテレビの音ももう聞こえない。
窓の外からは時折、車が通り過ぎる音。
ベッドの上で、ふたり並んで横になっていた。
港は、天井をぼんやりと見上げていた。
黎は隣で文庫本を開いていたが、ページをめくる手が止まっている。
港が黙ったまま、何かを考えているのを知っていたからだ。
やがて、ぽつりと港が言う。
「……そういえばさ」
「ん?」
「俺が、タイムループしたら……黎は、どうなるの?」
黎はすぐには答えなかった。
本を閉じて、膝の上に置く。
視線は、天井を見つめたままの港に向けた。
港の横顔は穏やかだった。
だけど、目だけが少しだけ不安そうだった。
「黎は、過去に戻らないんだよね。
俺だけが戻って……そのとき、黎は、どうしてるの?」
その質問に、黎は一瞬だけ目を伏せた。
港が知ってしまったら――きっと、また自分を責める。
自分が「犠牲にしてる」なんて言い出すかもしれない。
でも、黎は嘘がつけなかった。
嘘をついたまま、傍にいることの方がずっとつらい。
だから、静かに口を開く。
「……ああ、それは――」
言いかけて、言葉が喉で止まる。
口にすることが、これほど躊躇われるとは思っていなかった。
港は眉を寄せて、黎の顔を覗き込む。
「……どうしたの?」
黎は深く息を吸って、ゆっくりと吐く。
そして、目を合わせた。
「……言わない方がいいかもしれないって思った。
でも、聞いたのはお前だし、俺は……ちゃんと、答えるよ」
港はこくんと頷く。
どんな言葉が来ても、逃げないという顔だった。
「俺は――戻らない。
お前が“始まり”に戻っても、俺は、今いるこの時間に取り残される」
「……うん、それは、何となくわかってた」
「そして……港が“過去を変える”までは、世界はそのまま続く。
つまり――お前が死んだ世界のまま、だ」
港の目が、わずかに揺れた。
黎は続ける。
それがどんなに重くても、ちゃんと全部話すと決めていた。
「俺は、お前を看取る。
最後まで、そばにいる。
港が目を閉じて、息をしなくなっても、俺が全部見届ける」
「…………」
「そのあと、俺はお前を抱えて、交番に行く。
説明して、逮捕されて、裁判を受けて……少年院に入る」
声は静かで、淡々としていた。
でも、港はわかっていた。
黎は、そうなると知っていても、
それでも自分を殺す役を引き受けてくれたということを。
それを、苦しみながらも選んでくれたということを。
港は、小さく息を吸って、口を開いた。
「……そんなの、俺……っ」
でも、言葉にならなかった。
悔しさか、悲しさか、恐怖か。
それとも、そのすべてか。
声に出そうとした感情が喉で詰まって、港は唇を噛んだ。
黎は、そっとその手を取った。
指を絡めて、優しく握る。
「なあ、港」
「……なに」
「俺は、それを“後悔してない”よ」
港は目を見開いた。
黎の声は穏やかで、あたたかくて、
そして何より、強かった。
「お前のそばにいるって、俺が決めたことだ。
どんな世界であっても、俺はそれをやりきる」
「でも、俺が……俺が死んでる間、黎は、ひとりで、そんな……!」
「お前が戻ってきてくれれば、それでいい」
黎は港の頬に手を添えた。
親指で、そっと涙の筋を拭う。
「何度でも待つよ。
何度でも看取るし、何度でも笑って送り出す。
だって――俺は、“港が帰ってきてくれる”って信じてるから」
港はもう、言葉が出なかった。
ただ、涙をこぼしながら、黎の胸に顔をうずめた。
黎はその背中を優しく撫でながら、静かに囁いた。
「おかえり、ってまた言わせてくれ。
何回でも言うから。何度でも」
港は、黎の胸に顔を埋めたまま、小さく頷いた。
世界がどうなろうと。
ふたりがどう壊れようと。
どんなに繰り返そうと。
黎はずっと、港の帰りを待ち続ける。
――それが、黎の愛だった。