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「港、英語のプリント出した?」
「……うん。机の上」
「サンキュ。ってか、お前マジで出すの早すぎ。超人かよ」
「黎が教えてくれたから。ありがと」
教室の後ろのほう、いつもの窓際の席。
港と黎は、今日も当然のように並んで座っていた。
変わらない日々。
けれど、それは“変えない”と決めた日々でもあった。
休憩のループに入ってから、港は少しだけ変わった。
無理をしなくなった。
耐えることをやめた。
もっと、黎に頼るようになった。
そして黎も、それを当然のように受け入れた。
休み時間、黎がクラスメイトと喋っていると、
突然、港が後ろから背中にぴったりと抱きついてくる。
無言で、静かに。
ただ、あたたかい体温だけを預けるように。
クラスメイトが一瞬「え?」と目を丸くするけれど、
黎は何事もなかったかのように話を続ける。
「でさ、その文法のとこ、先生が“頻出”って言ってたろ。だから、次のテスト……」
「あ、うん、そうだったな。……って、おまえ港、今の状態でよく集中できるな」
「慣れてる」
黎は苦笑しながら答える。
港はただ無言のまま、軽く額を黎の背中に預けて、目を閉じていた。
誰もそれを突っ込まなくなった。
それが当たり前の光景になりつつあったから。
昼休みになると、ふたりはいつもの階段裏の踊り場へ移動する。
人気の少ないその場所は、ふたりにとっての「休息所」だった。
港がコンビニのおにぎりを食べ終わったころ、
ふっと立ち上がり、当然のように黎の膝の上に座る。
「重くない?」
「お前、体重ぜんぶ俺に預けるの上手いから、案外いける」
「ふふ、よかった」
港は笑う。
黎の胸の中、少し前までだったら“恥ずかしい”とか“遠慮”とかが挟まってたはずなのに、
今は、ただ、そこが落ち着く場所だった。
「……眠い」
「寝ていい。10分だけなら起こす」
「うん」
港が体を預けて目を閉じると、黎はその背中をそっと撫でた。
昼休みの雑音、誰かが階段を上ってくる気配。
全部、どうでもいい。
今はただ、港がリラックスしている、それだけが大事だった。
ある日、授業が終わった放課後。
ふたりは図書室の自習席に並んでいた。
港が英語の問題集を睨んでいると、
後ろからふわりと腕が回される。
黎だ。
港の背中に、黎の胸がぴたりとくっついて、
そのまま後ろから抱きしめるように包まれる。
「……やる気出る?」
「……出る」
港は小さく微笑んで、問題に戻った。
「てか、先生に見られたら怒られそう」
「怒られたら謝る」
「黎が?」
「もちろん」
抱きしめたまま、何も言わずに静かに寄り添ってくれる黎に、
港は全身で甘える。
もう我慢しなくていいと、自分で決めたから。
港は知っている。
黎はこの依存を重いと思っていない。
それどころか――黎は黎で、自分にとっくに、重すぎるほどの感情を向けている。
「……ねえ、黎」
「ん?」
「俺、今ほんとに、ちゃんと“休んでる”って感じする」
「それなら、良かった」
「黎のおかげ」
「俺のためでもある」
「トントン、だっけ」
「トントン」
港は、ふふっと笑う。
誰かにとっては、ただの“高校生活”。
でもふたりにとっては、何百回もの地獄をくぐり抜けた先の“祝福”だった。
少しだけ近すぎる距離感。
それを誰も咎めない空気。
何よりも、ふたりの間にある、見えない「おかえり」のやりとり。
休憩のループは、港にとってただの休みじゃない。
「黎が支えてくれる世界で、自分が生きるための練習」だった。
そして黎にとっては――
「港が生きている時間を、ちゃんと隣で見届けるための大切な日々」だった。
この時間がずっと続くわけじゃないと、どちらも知っている。
けれど。
「もうちょっとだけ……このままでいよう?」
「ああ。お前がそうしたいなら、いくらでも」
その言葉だけで、港はまた、ひとつ力を抜いて眠りにつけた。
――そんなふたりの日常が、今日もゆっくりと、静かに、過ぎていく。