5
黎の部屋は、静かだった。
机の上には開きっぱなしの参考書。
窓のカーテンが風に揺れて、外の夕焼けが少しずつ色を変えていく。
ベッドの端に、港が腰を下ろしていた。
制服のシャツは少ししわがよっていて、髪もぐしゃぐしゃだった。
目の下には、気づかないふりをしていたけど、薄く隈ができている。
港は、黙っていた。
何かを言おうとして、でも言えずに、言葉を選んで、またやめて。
ようやく、ぽつりとこぼれた声は、砂糖みたいに脆くて、
それでも、ちゃんと届くものだった。
「……黎」
「ん」
「いい?」
黎は、顔を向けずに答えた。
椅子に座ったまま、港の背中を見ている。
「選択するのはお前だ。
俺は、それを支えるだけだよ」
港は、静かに笑った。
「ありがと」
そして、言った。
「……今回は、休憩にする。休むループに」
黎は少しだけ眉を動かしたけど、それ以上なにも聞かなかった。
「そうか」
それだけ。
それだけで、港の中の緊張が、少しだけほどける。
港はわかってる。
黎は、自分が何も言わなくても、ほとんどすべてを察しているって。
自分がどれだけ疲れているか。
何回死んで、何回失敗して、どれだけもう限界に近いか。
それでも、やめられなかったこと。
それでも、今日ここに来た理由。
全部、知ってる。
だから、黎が隣にいるだけで、すごく、救われる。
「ちなみにさ」
「ん?」
「“支える”って言うけど、休憩って、具体的になにすればいいの?」
黎が少しだけ笑う。
「……分かんない。強いていえば、なんか、癒されたいというか……」
そう言った瞬間、
黎が静かに立ち上がって、港の前にしゃがんだ。
「ふむ。なら、ほら」
「え?」
港が反応する間もなく、黎がぎゅっと港を抱きしめた。
抱き寄せるというより、包み込むようなハグだった。
腕の中は、あたたかい。
体温も、匂いも、鼓動も、全部“黎”だった。
「ハグはストレスを何割か減らすと言うからな」
「……へえ。理にかなってるじゃん」
港は、恥ずかしさと照れと嬉しさがぐちゃぐちゃになって、
でもその全部を隠すみたいに、そっと黎の肩に額を預けた。
「……じゃあ、なんでベッドに寝転んだの?」
「とりあえず、睡眠は癒されるだろう」
「……あー、うん、それは……確かに」
黎はそのまま、港をゆっくり引き込むようにして、ベッドに横たわる。
ふたりとも制服のまま、狭いベッドに並んで寝転ぶ。
腕が重なって、足がぶつかって、ちょっと窮屈だけど、それでも落ち着く。
「……こうしてると、さ」
「うん?」
「黎が、全部受け止めてくれてる気がしてさ。……安心する」
「そうか」
「……依存してる、俺。わかってる」
「俺もだよ」
港が目を開けた。
黎は、静かに微笑んでいた。
この世界で、港のすべてを受け止めると決めた顔だった。
「お前が俺に依存する分だけ、俺もお前に重くなってる。だから、トントンだ。安心しろ」
「……うん。ありがと」
「休め、港。今回は、そう決めたんだろ?」
「うん……」
港は目を閉じた。
黎の胸に、そっと額を寄せたまま。
心臓の音が聞こえる。
それが、遠くから手を引いてくれてるような気がした。
黎の手が、港の髪をゆっくり撫でる。
落ち着いて、ゆるやかで、眠気を誘うリズム。
「……なあ、黎」
「ん」
「次のループのこと、今は考えないでいい?」
「もちろん」
「……よかった」
港は、ようやく完全に体を預けて、
深く、深く、眠りの中へ落ちていった。
その顔を見ながら、黎は静かに目を閉じる。
たまには、こういう時間があってもいい。
何も変わらない日。
誰も死なない日。
“失敗”も、“成功”も関係ない、ただの休憩。
そして、港がまた立ち上がる時は、
いつものように、またその隣に立てばいい。
何度でも、何回でも。
港の隣で、港を支える。
それが、黎にとっての、生きる意味だった。