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目が覚めた瞬間、まず最初に感じたのは「柔らかさ」だった。

少年院のマットレスは、こんなに沈まない。

硬くて、冷たくて、寝返りを打つたびに背中が軋んでいた。


でも今、背中にあるのは馴染んだベッド。

手を伸ばせば、薄くなったシーツと、寝汗を吸った枕。

それが「いつもの自室」だと、体が先に気づいていた。


黎は、ゆっくりと目を開けた。

天井は見慣れた白。

窓の外から差し込む朝の光。

鳥の鳴き声。遠くで走る自転車のブレーキ音。


そのどれもが、あまりにも「懐かしい」日常だった。


しばらく黙って天井を見つめたまま、やがてひとつ、息を吐いた。


──ああ、港が戻ってきたんだ。


世界が書き換わった。

港がまた、死んで、やり直して、変えた。

いつものように。

いつもの、港らしく。


「……おかえり」


誰にも聞こえないような声で、黎はそう呟いた。


体を起こして、制服に袖を通す。

ワイシャツの襟を整え、ネクタイを緩く締める。

髪を直し、いつものようにカバンを肩にかける。


鏡に映った自分は、なにも変わっていなかった。

ただ、あの「痛み」を知っている自分だけが、そこにいた。


家を出て、駅前のコンビニの角を曲がる。

通学路の喧騒。

自転車の高校生、談笑する女子たち、犬の散歩をする老人。

みんな、今日が「最初の日」だと信じて疑わない。


でも黎だけが知っている。

何度も繰り返された「最後の日」が、たった今またやり直されたことを。


そして、その「やり直し」は、きっと今回も……港の“死”で始まったことも。


だから、笑う。

それでも、笑う。

港が望んだ世界がここにあるなら、自分もその世界の中で、港のそばに立ち続ける。


待ち合わせ場所に着いた。

小さな交差点の前、街路樹の下。

何百回もここで待ち合わせた場所。


手元のスマホを見るふりをしながら、足元のアスファルトをじっと見つめる。


何もなければ、それでいい。

来なければ、それが答えだ。

でも、もし……


「……おはよう」


その声に、顔を上げた。


港がいた。

制服姿で、手を振って、いつものように立っていた。


日常の顔。

まだ世界に疲れていない目。

そして黎を見つけて、ちゃんと笑う。


「……おはよう、港」


黎もまた、自然に口角を上げた。


誰にも知られない。

どれだけ繰り返しても、たったひとりのこの挨拶だけが、「全部覚えている」ことの証。


そしてそれは、黎だけが贈れる「おかえり」の言葉でもあった。


歩き出す。

並んで歩く。

その距離も、歩幅も、会話のタイミングも、全部がいつも通り。


港はまだ何も言わない。

でも、言わなくていい。


黎は、すべてわかっている。

今回も、何かを救うために、何かを捨てて、港は戻ってきたんだ。


――ありがとう。

――おかえり。

――今度こそ、うまくいくように。


そんな祈りを、言葉にしないまま、黎は今日も歩き出す。

隣には港がいて、

黎はその背中を、また見守ることができる。


何度でも、繰り返しても。

黎はそこにいる。

いつも通りに。


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