3
少年院に入るまで、あと二日。
その日は、灰色の空だった。
雲は重く、陽射しは落ちてこない。
けれど雨が降るわけでもなく、ただ、空気だけが鈍く冷えていた。
黎は、警察の車に乗って、墓地へ向かっていた。
制服ではない。私服だった。
手錠もない。監視の刑事がふたり、後部座席で静かに彼を見守っている。
港の妹、凛の墓参り。
最後のお願いだった。
「取り調べにはすべて応じました。
だから、どうか……せめて一度だけ、墓参りをさせてください」
その言葉を、警察は黙って受け入れた。
彼の態度は終始、真摯だった。
港を殺したことも、動機も、自分が背負う罪も、すべて包み隠さず語った。
ただし、「なぜ港が死を繰り返しているのか」については、一言も漏らさなかった。
それは、港との約束だった。
あの力のことは、誰にも言わない。
港が背負ってきた理由も、苦しみも、すべてをそのまま、自分の胸に留めておく。
――凛ちゃんを、救うため。
それが、港が繰り返してきた理由だった。
無数の死の果てに、それでも凛を救えず、それでも挑み続けてきた。
黎は、その妹を“原因”だと恨んだことがある。
もし凛がいなければ、港は死ぬ必要なんてなかった。
自分が親友を殺す必要も、なかった。
でも、同時にわかっていた。
港が、どれほど凛を想っていたか。
愛していたか。
誰よりも、家族を、大事にしていたか。
だから、黎もまた、凛のことを憎みきれなかった。
それどころか、きちんと――大切に思っていた。
墓地に着いた。
石段を登る途中、先に人影が見えた。
女性がひとり。
黒の長袖に、紺色のロングスカート。
どこか懐かしい立ち姿。
「……お母さん」
思わず小さく、黎はつぶやいた。
港の母親だ。
中学の頃から、何度も家に遊びに行っていた。
夕飯を一緒に食べたこともある。
笑い声が多くて、優しくて、少し涙もろい人だった。
足音を立てないように近づいて、後ろからそっと声をかける。
「こんにちは。お久しぶりです」
それは、あまりにもいつも通りの、丁寧で静かな声だった。
女性は、ゆっくりと振り返った。
瞳が赤く、目の下には深いくまがある。
でも、怒りはなかった。
あるのは――ただ、悲しみだけだった。
「……黎くん」
その声が、震えていた。
「どうして……港を?」
黎は、答えるまでに時間を取らなかった。
まっすぐに目を見て、迷わず言う。
「そうする必要が、あったからです」
それがすべてだった。
タイムループのことも、未来のことも言えない。
言えば彼女は混乱するし、信じないだろう。
だから、ただ、自分のしたことの責任だけを語る。
「どんな言葉も、受け止めます。
お母さんが言いたいことがあれば、何でも言ってください」
港の母親は、小さく口を開き、何か言おうとして――やめた。
その代わりに、ぽつりと、静かに言った。
「……私は、あなたを許せないわ」
黎は、少しだけ微笑んだ。
それは、安心したような、あたたかい顔だった。
「ええ。分かっています」
その言葉に、嘘はなかった。
許されないことをした。
絶対に。
いくら事情があろうと、誰を救うためだろうと、
港を、親友を、自分の手で殺した事実は変わらない。
墓の前に立つと、名前が刻まれている。
「白波 凛」
その横に、小さな花と折り鶴。
いつも港が持ってきていた手紙の束は、今日もあった。
黎は、そこにしゃがみ込む。
手を合わせ、目を閉じる。
「凛ちゃん。……君を救うために、港は、ずっと頑張ってたよ」
心の中で、そう語りかける。
「……俺も、君の兄さんを守るために、必死だった」
「……でも、ごめん。
あいつのこと……俺の手で、終わらせた」
手を合わせたまま、涙は落ちなかった。
そのかわり、手が、少しだけ震えていた。
墓参りを終えると、黎は立ち上がり、港の母親のほうを振り返る。
「ありがとうございました。最後に、来させてくれて」
「……もう、来られないのよね」
「はい」
警察が近づいてくる。
時間だ、と肩を叩かれる。
「どうか……体を、大事にしてください」
黎は、深く頭を下げた。
その姿は、凛と港を愛していた、ただの少年だった。
港の母親は、その背中に、そっと言った。
「……港のこと、最後までありがとう。
許せないけど……でも、ありがとう」
その声に、黎は何も返さなかった。
ただ、警察の車に乗り込んで、
窓越しに空を見た。
もうすぐ、港が帰ってくる。
また、世界をやり直す。
そのとき、彼はこの世界を「正せる」と信じている。
黎は、その背中を支え続ける。
たとえ、もう二度と会えないとしても。