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警察署の取調室は、昼下がりの陽光から切り離されたように、無機質な灰色だった。
冷たい机と、片側にだけある古いスチール椅子。
そこに、少年は座っていた。
高校二年生。
名は、黎。
そして、彼が殺したのは、同じ学校に通う生徒、**港**という少年だった。
第一通報者は、通行人の大学生。
目撃者多数。
現場の状況、物証、証言、すべてが一致しており、「殺人」としての立件には何の障害もない。
だが──問題は、「少年の様子」だった。
担当になった警察官は、三十代半ばの男。
場数は踏んでいる。
けれど、この件は「妙な違和感」があった。
書類を閉じて、目の前の少年に問う。
「港くんとは……どういう関係?」
黎はすぐに答えた。
「親友です」
声は穏やかで、無駄がない。
怖がっている様子もなければ、開き直っている様子もない。
ただ、感情を排して正確に言葉を並べているようだった。
「……仲が悪かったの?」
「いえ。むしろ一番、仲が良かったです。
それが“親友”という関係だと思っています」
答えるたびに、警察官は胸の奥でざらりとした違和感を覚える。
少年が喋っていることは、論理的に正しい。
だが、どこか“人間らしさ”が欠けていた。
「……君は、彼が嫌いだった?」
「……いいえ。大好きです」
黎は、はっきりと言った。
感情の揺れもなく、静かに。
「彼が困っていたら、助けたいと思うし、
彼が笑っていたら、それが一番いいと思う。
俺の大事な友達です」
「……憎んでいたのか?」
「全く? アイツは、いいやつですから。
少し馬鹿だけど、努力家で、人の気持ちがわかる。
……だから、俺のことも最後まで信じてくれたんですよ」
信じてくれた。
この言葉に、警察官はかすかに引っかかった。
「……じゃあ、なぜ彼を?」
静かに問う。
その声には、自分でもわかるほどの戸惑いがにじんでいた。
黎は、少しだけ目を伏せ、ゆっくりと息を吐いた。
まるで、用意していた言葉を整えるように。
「……そうする必要があったからです」
警察官はペンを止めた。
「“必要”? どういう意味だい?」
「港は、あそこで死ななきゃいけなかったんです」
黎は、まっすぐにこちらを見ていた。
罪の意識でもなく、狂気でもない、透き通ったまなざしで。
「けど、俺の知らないところで死なれるのは、嫌だった。
だから、俺がやったんです」
一瞬、部屋の空気が変わった気がした。
冷房の風でも、音でもない。
ただ、「この少年の言葉」が、この空間の温度を変えた。
「……君が殺さなきゃならない理由があったと?」
「はい。
あの場所で、あの時間に、俺が殺すことに意味があった。
そうじゃないと、全部ずれる。全部、無駄になる」
「……何が、無駄になるんだ?」
「全部です」
黎の声は淡々としていたが、その奥に何か大きなものが眠っているのがわかった。
冷たくて、静かで、けれど、決して「無」ではない。
「たとえば、港が誰かに襲われて死んだら、俺は知らなかった。
事故だったら、俺は何もできなかった。
そういうのは、もう、嫌だったんです」
警察官は、ふと気づく。
この少年は、“何かを知っている”。
ただの少年のはずなのに、“繰り返している者の目”をしていた。
「……君は、何者なんだ?」
思わず出た言葉に、黎は肩をすくめた。
「ただの友達です。
港の一番近くにいた、親友です。
……だから、終わらせる役目は、俺のものでした」
警察官は、それ以上言葉が出てこなかった。
目の前の少年が言っていることは、すべて意味不明だった。
けれど、どこかで“本当にそういうものがあるのかもしれない”と、思わされる迫力があった。
まるで、黎の言葉がこの現実に穴をあけて、
その奥から、別の時間軸が覗いているような感覚だった。
やがて、取調べは終わり、書類は進んでいく。
けれど、この事件は警察の中でも「記録に残せない感触」として語り継がれることになる。
――殺人犯は、少年だった。
――だがその瞳は、ただの“犯人の目”ではなかった。
「……また、会うかもな」
取調べ室を出る間際、警察官はそう呟いた。
黎は、微笑んだ。
ほんのわずかに、確かに。
「ええ。港が戻ってきたら、また“次の約束”を果たしに来ます」
そして、黎は静かに扉の向こうへと消えていった。
まるで、それも何百回と繰り返してきた“ルーチン”であるかのように。