だ、れ、に、し、よ、う、か、な
あの日の光景は、アリーシャの脳裏に強くこびりついてしまった。
愛した男と信じた女が仲睦まじくしていたのだから、トラウマになってもおかしくはないだろう。
もちろんちゃんと制裁はした。
アリーシャに縋り付く男の股間を力強く蹴り上げたのだが、あれからあの男がどうなったのかは知らない。
とはいえ結婚式前日に婚約破棄だ。
社交界には瞬く間に噂が広がり、アリーシャは被害者であるはずなのに奇異の目に晒された。
それが耐えられなくて部屋に引き篭もる日々を送っていたが、ある時アリーシャの前に天使が降臨したのだ。
「ねえさま。……だいじょうふ?」
「ラルフ……。おいで」
それは義理の弟だった。
アリーシャ以外に、マグラウェン伯爵家には跡取りがいない。
アリーシャが婿養子をとる以外の選択肢がないと思っていたが、ありがたいことに父が再婚してくれたのだ。
生まれたばかりのアリーシャを残し、亡くなった母には申し訳ないが、幸せそうな父を見れてアリーシャも嬉しかった。
それに義母となった女性は美しく優しい女神のような人で、今では大好きな家族の一人だ。
そんな女性が連れてきたのが五歳のラルフ。
小さくてプニプニした、あたたかな男の子。
まん丸お目目は青空のように美しく、銀色の髪は撫でるとさらさらで心地よい。
可愛すぎる義弟ができたことも、アリーシャにとっては幸せなことだった。
そんな溺愛もいいところのラルフが、心配してきてくれたのだ。
抱きしめない理由がない。
アリーシャはラルフを呼び寄せると、膝の上に乗せてギュッと抱きしめた。
「ああ、ラルフ。可愛い私の弟。おねえちゃんは大丈夫よ」
「……ねえさま」
「うん?」
この舌たらずな話しかたも可愛すぎる。
ねえさまねえさまとまるで雛のように後ろをついてくる姿を思い出しては、ラルフを抱きしめる腕に力が入ってしまう。
「ねえさまはすばらしい女せいです。……男のみる目がなかったんです」
「…………」
そんな愛おしいラルフは、たまに大人びたことを言うことがある。
彼の母親が大人な女性だから、きっと彼女の真似をしているのだろう。
そんなところも愛おしいなと、ラルフの頭を撫でる。
「ありがとう。ラルフも私の自慢の弟よ……」
ああ、こんなにアリーシャにべったりのラルフも、いつかは巣立ってしまうのだろうか?
彼から恋愛について聞かれたり、好きな人を紹介されたりするところを想像しただけで、悲しみが胸を支配する。
このぬくもりを手放したくないと思いつつも、幸せになってほしい気持ちは強いのだ。
複雑な心境だと小さくため息をついた時、ふと思った。
この可愛らしいラルフが、自分のような未来を辿らないようにしないといけない。
あんなつらい思いをするのは自分一人でいいのだ。
この可愛い弟に涙は似合わない。
そう思うと、心の奥がメラメラと燃え立つような感覚を覚える。
「――そうよ。そのとおりよ」
「……ねえさま?」
ラルフには美しく優しく頭もいい、最高の伴侶が必要だ。
もちろん貞操観念が高く、ラルフだけを愛してくれる女性。
そんな最高の存在を、この手で探し出して見せるのだ。
そうすればアリーシャは安心して余生を田舎で暮らせるというもの。
時折こっちに戻ってきては、彼らの子どもを抱いて眠る。
そんな最高の時を、必ず過ごしてみせよう。
アリーシャはラルフをベッドに座らせると、自分は立ち上がりベッドの周りをくるくると回り始める。
「年齢は最高でも二歳差くらいがいいわ。話が合うもの。今七歳ならまだいろいろ変えられる……。――そうよ! 私が育てればいいのよ」
候補を探しその中から理想の女性を選ぶ。
そしてそこからさらに最高の女性へと育て上げればいいのだ。
ラルフだけを愛してくれる、唯一無二の女性を――。
「任せてラルフ! あなたに似合う最高の女性を私が作り上げてみせるわ!」
「……ねえさま? どうしたの?」
「あなたを私のようにはしない! 必ず幸せな結婚をさせてあげるから!」
そうと決まればまずは候補を上げなくては。
もちろん素晴らしい血筋のお嬢様でなくてはならない。
未来の伯爵夫人になるのだから。
王族とは言わないが、それくらい気高い人でないと困る。
まずは両親を説得しなくては。
そこから相手を厳選し、面談をする。
ラルフとの相性も見なくてはならない。
やることがたくさんだと瞳を輝かせるアリーシャを、当のラルフは覚めた目で見ている。
「……またなにか馬鹿なことをしようとしてるな」
そう呟いた声は普段よりもずっと低く、やけに大人びたものだった――。