思考回路がショートした
婚約者探しというのは難しいらしい。
アリーシャの婚約者を探したであろう父の苦労を知った気がした。
母がいればもっと違う人を選んでくれていたのかもしれないが、これもまた運命だったのだと今なら受け入れている。
むしろあのまま結婚をしなくてよかった。
あんなやつと夫婦になっていたかと思うと……。
アリーシャは鳥肌が立つ二の腕をさすった。
「お嬢様? どうかなさいましたか?」
「――いいえ。なんでもないわ」
アリーシャは侍女であるナナリーとともに街に繰り出していた。
実は最後のラルフの相手候補である侯爵令嬢のエリザベスなのだが、あまり外出したりしないらしく、会える機会があるとすれば侯爵家主催のパーティーのみらしい。
となれば向かわなくてはならないだろう。
婚約破棄よりパーティー類を避けていたアリーシャだったが、愛しのラルフのためと腹を括った。
なので今日はドレスを見にブティックに向かっているのである。
こんなことなら前回、婚約者候補のルアーナを探った時についでに見ておけばよかった。
はあ、と大きなため息をついたアリーシャの後ろから、ナナリーが声をかけてくる。
「あの、お嬢様。例の件ですが……」
「――進展あったの!?」
ブティックの前で聞く話ではないとは思いつつも、気になってつい聞いてしまった。
するとナナリーは軽く首を振って否定する。
「いえ。それが情報が全くなくて……。本当に奥様が……?」
さすがに口にするのが謀られたからか、ナナリーは浮気のうの字も口にしなかった。
それにさすが自分が信頼する侍女だと心の中で拍手を送りつつも、アリーシャは腕を組み首を傾げる。
「前にも言ったけれど確信はないのよ……。ただ男と一緒に部屋にいたのは間違いないの」
「それは……確かに疑ってしまうのも無理はありませんね……」
男性と二人っきりでどこぞにいただけで貞操を疑われてしまう時代だ。
部屋で男女が……なんてことになれば、浮気を疑われてもおかしくはない。
だがナナリーの言うとおり、確かにあの義母が? とも思ってしまう。
父との関係も良好そうなのに……。
やはり若さには敵わないのかと頭を抱えそうになっていると、不意に後ろから声がかけられた。
「アリーシャ?」
「――」
本気で振り返りたくなかった。
それくらい、耳にすらしたくない不快な声にアリーシャの鼻は深く皺を刻んだ。
「お前、よく外に出れたものだな」
「…………あなたが言う?」
振り返ったアリーシャの瞳に映ったのは、元婚約者のダニエルだった。
そう、アリーシャの友人バーバラと結婚式前日に浮気してくれた最低野郎である。
自分の瞼が半分くらい下がったのがわかり、アリーシャは盛大なため息をついた。
「なんでこんなところであなたに会わなきゃいけないのよ。……最悪」
「なんだよ? 昔みたいにこんなところで出会えるなんて運命ね! なんて頭の沸いたセリフ言わないのか?」
ああ、本当にイライラするとアリーシャはあえて微笑んで見せた。
こんなやつに怒りを向けることすらもったいない。
確かに過去の自分は脳内お花畑だった。
それは認めよう。
真実の愛はあると信じて、こんな男を信じ愛し続けたのだ。
だからその反動で、今ではすっかり愛だの恋だのは信じない現実主義者となった。
そんなまやかし存在しないし、もし仮にあったとしても他人の話だ。
自分の中では綺麗さっぱりなくなっている。
「結婚式前日に浮気するような男のほうが頭沸いてると思うけれど?」
「――負け惜しみ言うなよ。浮気されるような女、もう他にもらい手なんてないんだろう?」
なぜこの男はこうも上からものを申せるのだろうか?
上からかかと落としでも食らわせれば、多少は頭も低くなるか? なんて意味のないことを考えるくらいには腹が立っていた。
「だとしてもあなたにだけは関係ないでしょう」
「この間道で婚約者を探さないとって叫んでただろう? よほど難航してると見えたが?」
この間? とアリーシャは束の間考えすぐに答えを出した。
もしかしてラルフの婚約者探しに難航していた時に叫んだ、あのセリフを聞かれていたのだろうか?
なんだそんなことかと、アリーシャは大きくため息をついた。
「あれは私じゃなくて、弟の――」
「言い訳しなくていい。捨てられた女なんて誰だって嫌だろう?」
捨てたのはアリーシャなのに、なぜこんな物言いができるのだろうか。
ダニエルはなぜか胸を張ると声高らかに告げてきた。
「お前がどうしてもと言うのなら、俺がもらってやらんこともないぞ?」
「やっぱりあなたのほうが頭湧いてたわね」
本当にどうしてそんな考え方ができるのか、アリーシャにはとんと理解できないことであった。
もうこれ以上は話しても無駄だとブティックの中に入ろうとするが、ダニエルは諦めることなく話を続ける。
「男は未婚でもやりようがあるが、女の未婚は悲惨だぞ? 年老いた男と結婚するよりいいだろう?」
「おあいにく様。私はもう結婚するつもりはないし、もししなくてはならなくなったら、間違いなくあなたよりお年を召したダンディーな殿方と結婚します。……そっちのほうがよほど幸せになれるわ」
なぜアリーシャが未婚であろうと決めた原因をつくった相手に、懇願して結婚してもらわなくてはならないのか。
そんなことをするくらいなら、金銭的にも心情的にも余裕のある人生の先輩と添い遂げたほうがよほどマシだ。
……もちろん、そもそも結婚自体する気がないのだが。
アリーシャがそう言いふいっと顔を背ければ、ダニエルは眉間に強く力を入れた。
「――その言葉絶対に後悔するぞ。お前の未来は年老いた醜いジジイの後妻でしかないんだからな!」
「あなたに未来を決められるほど落ちぶれてはいないわ」
「――っ、強情な女だ! 好きにしろ。哀れな末路を歩むがいい!」
ダニエルはそれだけ言うと、ドスドスと大きな足音を立ててその場を後にした。
その音を背中を向けたまま聞いていたアリーシャは、完全に遠かったのを確認して肩を落とす。
「はぁ……。なんなの? 今日は厄日なの?」
「……ものすごい男でしたね。なんというか……バカなのかな? と」
「本当にね。どうしてそんな思考回路になれるのやら……」
ナナリーの言葉に頷いたアリーシャは、本日何度目かわからないため息をつく。
「本当に幸せが逃げてしまいそうだわ」
「もう今の出来事は忘れて向かいましょうか」
「……そうね。全てはラルフのために!」
あんな男のために使う時間なんてないのだ。
今はラルフの幸せのため、アリーシャが動くべき時なのである。
サクッと意識を当初の目的へと切り替えて、アリーシャはブティックの扉を開けたのだった。