意地悪な悪役令息は離婚破棄します
「僕はアーリャ・グレイスとの婚約を破棄する」
それは唐突の出来事だった。国有数の上流貴族の令息であり、私の婚約者である──ベル・アルフレッドから、寝室でそう言い渡された。
窓の外は真っ暗、雨が降り始めていた。
「えっ?」
最初、何を言っているのか理解出来なかった。
私との婚約を破棄? じゃあ今まで付き合ってきた数年間はなんだっていうの? 目の前が真っ暗になる。何も言えない。口がぽっかりと空いたまま。
「な、なんで。なんでよ」
脳裏に映る今までの記憶。明日は私たちが付き合ってから三年目の記念日であり、結婚式予定日だった。ちょっと待って、正気なの。結婚式前日に婚約破棄───? 考えれば考えるほど、頭がこんがらがってくる。
『どうして』
もう一度その言葉が口から出る寸前、
「そりゃあ、可愛い君をからかうため。冗談さ」
ニヤけながら言う彼のセリフによって、それは遮られた。混乱は増すばかり。頭の中で彼の言葉を反芻した。
……はい? いま、なんて言いましたかこの人。
「は、はい!?」
「僕はアーリャ・グレイスとの婚約破棄を破棄する。──ずばり、離婚破棄だ」
"キリッ"という効果音が似合う感じだった。白い八重歯を見せて、爽やかに笑う少年。ベル・アルフレッド。ってちょっと待って私、落ち着いて? これって一体どういうこと?
この人謎にカッコつけてるけど、何言ってるの????
「ねぇベル」
「なんだい最愛の婚約者」
「……すぅぅ」
息を吸って、吐いて、大きな声で私は言う。
「アンタそれ、何もカッコよくないから!!!」
それはもう屋敷中に響き渡るような怒号だったと思う。あまりの声の大きさで雨雲が吹き飛ぶかもしれなかった。いや、それは冗談だとしてもそれぐらいの気持ちで私は叫んだ。
離婚破棄ってなに? 婚約破棄の破棄はまだ分かるけど、離婚破棄?? いやまぁ、確かに結婚式は明日といえど、婚約届はもう書いてあるから……うーん、いや、やっぱりおかしい!
呆気に取られたように彼は、
「え、あ、ご、ごめん」
と申し訳なさそうに謝罪するけれど。いいえ私は許しません、断じて許しません!
「ふざけないでベル! 今のは『からかい』の一線を越えてたよね、何よ婚約破棄って! 私本気で悲しんだんですけど?」
「あ、ごめん……本当に。僕、悪役令息だから───」
「悪役令息?」
それがベルの口癖であることを私は知っていた。とはいえ『悪役令息』が何なのかはよく分からないというか、分からないし、分かりたくない。
「ぼ、僕は悪役令息で意地悪だからさ、そんな言葉でしか愛せなくて」
「嘘でしょそれ、だってベルは優しいもん」
私は彼の優しいエピソードを次々に列挙していく。
昔、私の実家が経済的に困窮していた時に金銭的な援助をしてくれた。
重い物を運ぼうとしている時、買い物を終えた後、荷物を積極的に持ってくれた。
私の体調が悪い時、世界で一番美味しいお粥を作ってくれた。
散歩の帰りに雨が降ったせいで汚れた靴を、夜中ずっと磨いてピカピカにしてくれた。
料理が下手な私に、料理を教えてくれた。
例えば私の作った料理がとんでもなくて、お世辞でも『ぎり吐くレベル』ぐらいにしか褒められない料理を──「この世に生まれて良かったと感じるぐらい美味しい」とベタ褒めしてくれた。
そのように例を挙げればキリがない彼の優しさエピソードを、私はつらつらと彼に語る。
ベルは自分のことを悪役令息なんて言うけれど、全然そんなことはない。
対極の存在といっても過言ではない。
「ほら、ベルは優しい」
「ぐぬぬ……じゃあ今回はソレに免じて、僕のことを許してくれるっていうの?」
「それは勿論、許しません」
それとこれとは話が別ですよベル君。
彼をベッドの端に座らせて、私は立って腕を組む。謝罪会見の記者気分だった。
そういえば最近、どっかの貴族の令嬢が王国のお金を横領して───家が謝罪会見を開いていたっけか。当然、その令嬢は捕まったのだけれど。って、何の話よこれ。
「許してくれないんですか」
「許しません、ぜったいに」
「マジですか……」
しょぼんと俯く彼の顔は、信じられないぐらい美しかった。短く美しい黒髪と黒の瞳。もし私が男だったとしても、惚れているかもしれない。
「なぁ、アーリャ」
ベルが立ち上がった。私の顔を見てジリジリと距離を詰めてくる。
「え、な、なに……急に」
「アーリャ、ごめん」
彼の圧に負けて後退りする私はいつの間にか、壁際に追い詰められていた。いやなんで結婚式前日にこんな修羅場を経験しなきゃいけないんですか。
ゆっくりと、獲物を狙うような瞳で私を追いかけるベルは───、
「あっ」
「僕は本当に君を愛してる。だから、からかいたくなってしまったんだ。ごめんね」
いわゆる『壁ドン』をしてきた。
それから彼は抱きしめてくる。反則級の大技であり、禁忌級の必殺技だった。
これってもはや、犯罪じゃない?
「……意地悪」
流石にここまでやられると、私でも許すしかなくなってくる。
「"私がベルに惚れてなかったら、今ので惚れ過ぎて死んしゃう所だった"」
「なにそれ」
「愛死てるってこと」
ふん、この返答は完璧ね。う、うん。
照れ隠しのキザを演じた台詞を、私は自信満々で言ったのだが……、
「ん、僕も愛してるよ」
彼には通用しなかったようで普通に返された。ネタというか言葉遊びが通じなかったせいかは知らないが、その途端に恥ずかしくなってくる。自分の今の顔を見てみたかった。
「すっごい可愛い。顔が真っ赤だよ」
やっぱり、見たくはないかもしれない。
「う……、ありがとう」
「こちらこそ、君の可愛い笑顔を見せてくれてありがとう」
はっ!? ベルは何を言ってるの。
鼓動は速く、止まることを知らなかった。
「ねぇベル」
「なんだい、マイハニー」
「……すぅぅ」
またしても深呼吸してから、
「アンタそれ、褒め過ぎて胡散臭くなってるけど!!!」
私が言いたいことはただ一つ、それだけだった。どれだけベルが私に溺愛しているかを教えてくれるのは、嬉しいから一向に構わないけれど。それを一気に伝えられるとなると、途端に嘘臭くなるのだ。
真実味に欠ける。
推理小説で関係者が全員同じ人を犯人だと証言しているみたいだった。
というか、『君の可愛い笑顔を見せてくれてありがとう』なんて!! 今どき、箱入り娘な超上流の貴族のお嬢様でも、そんな台詞のある夢物語読まないから!!
「ごめん、僕、悪役令息だからさ」
「それ全然言い訳になってないです」
「あれ」
「何があれ、なのよ」
彼の一挙手一投足が気になる私は、やはりツッコミ役だった。いつでもボケるのはベル。意地悪なのも彼。
悪役ってより、小悪魔だけど。
「じゃあ言い直すよ」
ごほんと、咳払いする彼。
「ごめん、僕、悪役だから」
「意味が分からないです……」
「王国のお金を三百億ベリーも横領してきたから、気が動転しちゃってたのかもしれない」
「あーそういうこと……って、そんなことしてるなら、悪役が適当だね!!!」
って待て待て待て。
てことは、ベルがあの謝罪会見に出てた人?
「てのは冗談だよ。僕は時事ネタでもボケれる」
いや、冗談でしたか。私を焦らせないでよ本当に……。というか何の自慢なの、これ。
「時事ネタっていうか、国の一大事件だしね。それぐらい知らなきゃ変じゃない?」
「僕はただ知ってるだけじゃない。ボケれるんだよ」
「あー……はいはい」
なんかもう面倒くさくなってきた。
これじゃあ悪役令息ではなくて、ただのボケ担当の芸人だった。私は一体だれと結婚しようとしているのか。
真相は闇の中。雨に流れて、地面に沈む。
「それはともかく」
「話を戻そう」
凄い今更感があった。そもそも何の話をしていたっけ。
「婚約破棄は君への愛の再確認。実際は婚約破棄なんてするつもりなくて、離婚破棄だ」
あー……そんなこと言ってたね。
まぁ、もうツッコむ気がないからスルーしますけども!
「離婚破棄ねぇ」
「そう、君と離婚することを破棄する。ずばり結婚する!」
「……うーん、それって本当に対義語として成立してるのかなあ」
離婚破棄のイコールが、結婚ではない気がするのだけれど。
「ともかく、僕は君を愛してる」
「私も好きだよ、ベルのこと」
「だから結婚しよう、いつか結婚式もあげよう」
「……結婚式は明日なんですが」
「ふっ、僕は悪役だからね。うっかり失念していたよ」
だから何なの、それ。
悪役って、なんか聞いてるだけでイライラしてきたんですが。どうすればいいのでしょう。このやり場のない謎の感情は。
分からなくなってきた。
「だから、悪役って何なの?」
「満ち足りた存在──飽く役、ずばり、悪役ってことさ」
「む」
なんだ。よく分からない引っ張り方をしてきたぞ、この美少年。飽くが『十分に満足する』という意味を持つ隣の国の言葉なのは知っていたけど。
まさか『悪』の方ではないなんて、誤算だった。
でも、あれ? 何かおかしい。
それだと今までの文脈に破綻してないだろうか。私は疑問に思う。もっとも、最初から破綻していたと言われると、決して否定できないのだけれど。
「ていうのは冗談。いま思いついた」
私はもう何も驚かなかった。
でしょうね、それだけ。
「でも」
ふとベルと目が合った。信じられないぐらい深みのある、美しい黒の瞳だった。
目を合わせるだけでドキンとしてしまう。
「でも?」
「君を愛していることは冗談でも何でもない、本当だ」
彼は続ける。
「だから結婚しよう」
急に真面目な態度に変わったから、そのギャップに笑みが溢れてしまいそうになる。別に我慢する必要はないのだろうけど、我慢した状態で私も答えてしまった。
何の冗談か。結婚なんてとうの昔に決まっているのに。
「あっ、うん」
そして、変にかしこまりすぎた私は私で、随分とぶっきらぼうな返答をしてしまった。
「そんなの勿論だよ。……だって貴方が」
「悪役令息だから」
「違います」
雰囲気をぶち壊さないでください。やれやれと肩をすくめながら、私は彼に伝える。
「貴方が優しくて、カッコよくて、面白くて、時に意地悪で。私の結婚相手には勿体無いぐらい素晴らしくて──飽く役だから」
そんな言葉に、ベルは八重歯を見せて微笑む───かと思いきや、顔を赤らめて俯いた。
「……うん、ありがとう」
私はそんな彼を見て笑ってしまうのだった。
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