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第一章8 『公爵邸のパンドラの箱』

 検問所を抜けると、その先はもうファンドーリンの大地だ。

 一面の白銀の世界。春だというのに、この北の大地では未だ雪が降り注ぐ。だが、厳冬期とは異なり暖かな太陽の光も大地を照らしていた。

 アデリナの心を震撼させたのは、それだけではない。


 力強い建築と彫刻をはじめとした各種芸術が街にずらりと並んでいて、目に入れた瞬間の衝撃は言葉にしがたい。

 雪景色に包まれる中、その白と寒冷に打ち勝とうと街自体がまるで熱と輝きを放っているようだった。

 厳冬を生き抜くファンドーリンの精神が心臓の奥深くに叩き込まれるようで、もはや目を奪われる以外の選択肢はなかった。


 でも、少しだけ全て古いような。

 そのほんの少しの引っ掛かりと違和感は、馬車が進む中で記憶から薄れていった。



「な、なるほど……」


 二度目の震撼は、ファンドーリン公爵邸での出迎えの豪華さであった。


 長々と敷かれたレッドカーペット。両側にずらりと並ぶメイドや執事たち。新聞社の人たちもこの壮観を一生懸命記録している。

 これは世間一般に注目される前提での態度に違いない。何せ貴族同士の同盟がポピュラーな中でも、カレリナ公爵家がどこかと同盟を結ぶのはこれでやっと二度目になるのだから。

 ――あの女であっても、外面だけはきちんと情勢に従って取り繕わなければならないということだ。


「ようこそお越しくださいました、カレリナ公爵令嬢。ファンドーリン公爵家次男アレクセイ・ファンドーリンと申します。ご案内しますので、中へどうぞ」


「ええ、ありがとうございます」


 柔らかな金髪。優し気な金色の目。人当たりのよさそうな貴公子が、アデリナを出迎えるため扉の前で待機していた。

 新聞社の人々が少しだけ固まる。

 外務代表と当主は確かに差が大きいが、それでも相手がカレリナならば当主自ら接待してきてもおかしくはない。というよりあの女でなければ誰でもそうするだろう。


 だがこの状態は予想範囲内だ。長男も三男も当主自身も、まあアデリナを出迎えには来られないだろう。

 社交辞令を口にしながら、アデリナはアレクセイの差し出す手をとり、屋敷の中へ入っていった。


 ぱたん、と扉が閉まる。もはや記者は入って来られないので、これからは衆目を考える必要がない。

 果たして貴公子はどう出るか、と思っていると、ふとアレクセイが微笑んで口を開いた。


「――寒くはありませんでしたか? 春ではありますが、ファンドーリンはまだまだ気温が低いので……」


「! いいえ。それを見越してたくさん着込んでいるから」


「それなら、良かったです」


 ファンドーリンの冬は人を殺せる厳冬として有名だが、一応春はまだガタガタ震えるということはない。

 それに、心配性の母アナスタシアがファンドーリンの気候に合わせてあれこれ準備してくれたので、全体的に何も憂いはなかった。


「それでは客間へ行きます。滞在などに関しての説明後、滞在先へ移動していただきます。こちらへ――、!」


「!?」


 巨大な屋敷の廊下、扉はどれもデザインが一緒で、普通にぶらぶらしていたら迷うな――などとくだらないことを考えていたアデリナの耳に、何かが倒れるような、ぶつかるような大きな音が届いた。

 カレリナの耳ならば、どこからの音なのか判別するのは容易い。

 音源はすぐ隣にあった扉の向こうのようだ。アデリナはそこへ歩み寄っていく。


 ――そうしなければならないような、気がした。

 

「あっ……! 公爵令嬢!」


 何故か焦ったような声でアレクセイがアデリナを呼び止めるが、構わず扉の前に立つ。

 よく分からない衝動に導かれてドアノブに手をかけて――。


 ――それを回す前に先に扉が開けられて、アデリナは思わず一、二歩後ずさった。

 見れば、出てきたのは何やら妖しい笑みを浮かべた全身紫色な女。

 見たくなかった顔。ファンドーリンの女当主が、アデリナを見て目を丸くする。


「あら、公爵令嬢。ごめんなさいね、お出迎えに行けなくて。少し立て込んでいたの。これからの説明は私がするわね、アレクセイ、下がりなさい」


「……承知しました」


「……初めまして、カレリナ公爵家外務代表アデリナ・カレリナです。良き話し合いができることを、期待しております」


 親子だというのに異様によそよそしいアレクセイが下がっていくのを横目で見ながら、アデリナは作り笑いを浮かべて女に挨拶をする。

 正直、本気で嫌だった。ヴィクトルの顔は見えないし、この女とこれから色々話さないといけないとは最悪すぎる。でも、やるしかない。


 女当主は逆手で、扉を閉めようとする。

 アデリナは気づかれない範囲で、その隙間から部屋の中を覗いた。当主の前でカレリナの能力は使えないが、驚くほどに何も見えない。

 立て込んでいた、というのは一体何のことだというのか。

 仕事をしていたにしては、部屋の中が暗すぎる。だがそれ以外に、一体何が――。


「改めて名乗るわね。私はセリーナ・ファンドーリン。この家の、当主よ」


 その名乗りと共に、ぱたんと静かに扉は閉じられて。

 アデリナの衝動はそれによって蓋をされたわけだけれど。決して霧散できない違和感は、残ったままだった。


 ――扉を閉められるその寸前。鼻にこびりつくような鉄の臭いが、した。



 会いたくない人間としたくない話を数時間にわたってしたわけだが、今のアデリナにとってそれはもうすべてどうでもよかった。

 現実感のないふわふわとした頭で、アデリナは『滞在先』へと向かっていた。

 

 この状況はセリーナがアデリナを実は歓迎していないことの証明であると思うが、アデリナからすれば最高の福音であり結果オーライだった。


『ファンドーリン公爵家外務代表はその事務への利便性のため、本邸とは少し離れた場所に住んでいるわ。貴方にはその一室を借りて住んでもらおうと思っているのだけれど、どうかしら』


 一つ屋根の下!

 諸手を挙げて大大大歓迎に決まっている――!!


 という喉まで出かけた率直な感想と興奮は努力して押さえ込み、アデリナはセリーナの提案を受け入れた。

 一日目にしてまさかの展開。ヴィクトルと同じ空間に住むわけだし、他の住人の邪魔も入りづらい。幸せいっぱいのスタートを切った訳である。


 明らかに彼は公爵家の人間から隔離されているわけなので、それに関しての憤慨はもちろんあるのだが。


(し、心臓ちぎれそう……)


 公爵家別邸についたら、護衛を除けば半ば二人きりの対面ということになる。無理。生きて帰れないかも。

 アデリナは馬車の中で悶えながら、頭を抱えてそう思った。

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