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第二章12 『無意味な詰問』

「――僕たちは滅びてしまうんですよ」


 力ない声で、少年がそう言った。

 その瞳には、失望と落胆が宿っている。だけれども、彼が努力して表に出さないようにしている『怒り』は、心の底の部分を叩くように伝わってきた。

 彼は、自分勝手などではないと思う。

 絶え間ない地獄の中で、領地と兄の幸せを想い続けた彼にとって、これは間違いなく手酷い裏切りであるのだから。


「分かってるよ。ごめんね」


 その謝罪の言葉は白々しく、一切何の慰めにもならないと口にした本人も分かっていた。

 真剣に、真摯に対話されていないという感覚は、相手には非常にはっきりと伝わる。

 適当にはぐらかすような、やり過ごすような。そうやって自身にとって生存に関わるほど重大な話を淡々と受け流されたアレクセイが奥歯を噛みしめる。

 

 どこかで、まだ期待していたのかもしれない。

 全部嘘だと。共にホーネット公爵を倒すための策であったと。裏切りなどしていないと。彼女の口からそう言ってもらえることを。


「僕は、僕は貴女を信じるつもりでした。――兄上があまりにも可哀想です」


「『各勢力間の動きには利益しかない』、そうでしょ?」


「……そうですね。カレリナ公爵家次期当主にして外務代表。貴女は、正しい」


 無情な機械のように、プログラムされた『正解』を歩み続ける歴史を進める道具の顔をしたアデリナに、語ることはもうなかった。

 彼女が歴史を先見して判断した未来に自分たちの存在が許されなかった。

 結局はそれだけの話で、それならば、正しい彼女の選択を覆すことは不可能だと知っているのだ。


 沈痛な面持ちをして、身を翻して歩き去るアレクセイの背中を、アデリナは静かに見つめたままでいる。静止した水面のような表情の彼女が何を考えているかは、彼女自身にしか分からない。

 ――後ろで、『彼』がこの会話を聞いている気配を察知している。

 この話を聞いた彼がどう思うかは、アデリナには分からない。だけれど確かに分かることは、自分の計画がついに本格的に始動したということだ。


 この計画さえ成功するのなら、自分の名誉などどうでもよかった。



「君は知らないかもしれないが、」


 帰還したアデリナは駐在人としての仕事を日中にこなしたあと、普段のようにヴィクトルの別邸を訪れていた。

 厚顔無恥が服を着て歩いているかのような挙動だと自分でも思うが、この計画はアデリナとヴィクトルが折に触れて接触することなしには形を成さない。


 執務室で、アデリナの入室と共に、彼は含みのある視線を向けてそう語り出した。

 雪のような白髪は、あまりにも純白で純粋で、離反したアデリナの心を凍らせてくるかのようだ。暖かな光を宿す金の瞳は、直視するたびに心臓を刺す痛みを走らせた。

 星の光に照らされる彼は今日も誰より美しく、儚く、この世のものとは思えないほどだ。


「あれは、危険な人間だ。社交界では確かに人格者として名高いが、それは表面上の偽装で、実際は噂のような人間ではない」


「――わたしはカレリナです。おふたりの確執はよく知っていますよ?」


「……彼の思想は君の理想とは正反対だぞ。『共和論』の流通を差し止め禁書に指定したのは彼だ、君はそんな彼らと手を組むつもりなのか?」


「利益があるならそれを選択するのが、我々という存在ではないですか?」


 質問と回答が繰り返されるごとに、ヴィクトルの眉間の皺が深くなっていく。その瞳に宿る昏い色が、アデリナを注視している。

 彼はその迸る闇を隠そうとしているかもしれないが、アデリナは確かに背筋が冷えるような寒気を感じ取っていた。

 彼の怒りはごもっともだ。

 あれだけのことを言っておきながら、彼と最も敵対する人物の懐に入ったのだから。


「ならばあれとは何の関係なんだ?」


 眉をひそめ胡乱な目でアデリナを注視しながら、ヴィクトルが低い声でそう尋ねた。

 予想とは違う方向から飛んできた質問に、アデリナは思わす目を見張る。

 いや、思い返せば確かに、今二股状態と言っても過言ではない。どちらとも関係が発生していないだけで。だがよく考えるとその方が業が深い気がする。


 ――でも、離反者たるアデリナが彼に真摯に向き合うことはできない。


「先生は知らなくても大丈夫ですよ」


「何だと?」


「プライベートな話ではありませんか。それぞれの交友関係まで洗いざらい開示するのは、やはり婚約してからではありませんか? もちろん今すぐ婚約したいと仰るのならそれはそれで」


「――もういい」


 明らかなその場しのぎは、説明が面倒だから。言い訳さえしないのは、どうでもいいと思っているから。

 彼女のまるで内心が読めない仮面のような表情が、よりヴィクトルの心中の疑念を増長させる。

 それでも、彼が爆発することはなかった。

 翻弄されることにはとっくに慣れているし、どうせ。


 どうせ、どうなろうと彼女の愛はこちらを向いているのだから。


 それは当たり前で、ただ彼女の振る舞いが暫定的に利益に傾倒するようになったのが、わずかに気に障っただけだ。

 セリーナがやらかしたことを考えれば、アデリナが仕事に専念せねばならないのは考慮の内。

 これ以上詰問したところで、互いにとって何の意味もない。


「なんだぁ、しないんですか」


「そもそも、軽々しくする話ではない」


「軽々しいですかね? 求婚書でも送ったらいいってことですか?」


「断固やめろ」


「えーん、一世一代の請求なのにぃ」


 このわずかに浮ついたぎこちない会話も当然気のせいであり、かすかに張り詰めた雰囲気も気のせいであるに違いない。


 そうでなければ。


 ――そうでなければ、この地獄が色さえ失うのだから。

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