第二章3 『浮気の証拠写真(?)』
「号外、号外――! ホーネット公爵家とカレリナ公爵家の関係改善!! 両家の蜜月が訪れるか!? 号外、号外――!!」
「え? 仲悪いんじゃなかったの?」
「あれ、じゃあファンドーリン公爵家とはどうするんだろう?」
「いきなり!? 急すぎない!?」
「元からただならぬ関係だったかもしれないよ、求婚騒ぎもあるし!」
「えー! あの二人かぁ、絵になるし推したい!」
「これじゃあただの熱愛報道じゃないか」
「だってほら、見ろよこの写真。――友達以上恋人未満特有の空気が出てるぜ」
〇
ぽた、ときめ細かな白髪から、その色に似合わぬ茶色の液体が垂れる。その液体が地面に落ちる音が、やけに懐かしく感じられた。
もちろんあの時と違ってこれは熱湯で、肌を焼く痛みは鮮明に感じられる。
だが、その新聞と共にこの場面が繰り返されたことに、少々皮肉だと考えてしまう。
「何なの、何なの、一体何なのよ!! リチャード卿は私と手を結ぶと話していたはずじゃない! カレリナを潰して、その利益を山分けして、元老院の権威を奪う手はずだったのに……! ここまで深く利益を共有しているのに、今更私を切るというの!?」
セリーナが手にしたアイスピックで、新聞紙の一面を飾ったその写真を何度も何度も刺し続ける。もはや原形を留めていない。
狂乱するセリーナを一瞥したヴィクトルは、見るも無残になった写真を見つめた。
リチャードと握手をするアデリナ。二人の表情は自然で、微笑み合う姿は仲睦まじそうで、まさに友好関係の未来を拓く希望に満ちた一場面のようだった。
――あの時、ヴィクトルがキャロルにワインをかけられた、あの会場で。
アデリナ・カレリナはアルトゥール・グラナートの婚約破棄を乗り切り、リチャード・ホーネットの手を振り払い、ヴィクトル・ファンドーリンに手を差し出した。
まるで世界中に二人しかいないかのように、視界いっぱいに自分を映して、尋常でない熱量で同盟を語る彼女の姿は、今も昨日のことかのように鮮明だ。
そうだ、確かに彼女はカレリナの窮地を救うために、策を講じる必要がある。
だが彼女は何も言わなかったのだ。何も言わずにホーネットに赴いた彼女は、リチャードと会合さえする前から、あまりに曖昧な雰囲気を醸し出している。
そしてあのリチャード・ホーネットが、明確な目の前の利益を捨ててまで、彼女と手を取り合おうとした。
――彼女は、リチャードの手を取った。
「……」
「何を突っ立っているの!? ~~~~!! ―――!!!」
彼女が、リチャードの本性を知らないとは思えない。ヴィクトルほどではないと思うが、察しているはずだ。
だから本来、カレリナの利益のためだ、と片が付く話だった。
いくら彼女がファンドーリンでヴィクトルと距離が近くても、新聞社も公爵家の人間もそうやって片付けた。
――でも、本当にそうだろうか。これが。
これが。この雰囲気が。
新聞社の記事も、二人の曖昧な空気を煽るかのように『蜜月』だのなんだのと書いている。彼女のホーネットでの待遇も、どうやら初めてファンドーリンに来た時とはあまりに大差があるようだ。
リチャードを相手にするときだけ彼女が見せる妖艶な表情と、ヴィクトルに告白を繰り返した時の彼女の純粋無垢な瞳。
どちらが本当なのか。何が嘘なのか。何を信じるべきなのか。
人と関わる方法さえ忘れている自分にそんなことが、分かるはずがないではないか。
「――」
強く拳を握ったその手のひらから、じわりと血がにじんだことさえ、彼は気付くことがなかった。
〇
「兄う――、ぇ」
人払いを命じられていたので、激昂したセリーナが何かしでかしていないか心配したアレクセイが、兄に正面から声をかける。
だがまるで聞こえていないかのように、ヴィクトルはアレクセイの横を素通りした。
今まで、こんなことは一度もなかった。大体理由の予想はつくが、アレクセイは驚いてその場に硬直してしまう。
「――公爵令嬢は……どういう心づもりなのでしょうか。どんな作戦を立てているんでしょう……」
どんな作戦だろうが、この時点で既に自分の兄は限界を迎えているようだ。
すれ違った瞬間、業火のような激情が、ヴィクトルの瞳に灯っているのを目にしてしまった。このレベルの怒りは、もう数年にわたって見たことがない。
怒りというよりは間違いなく嫉妬だろうと思うが、だからこそ恐ろしい。
だから言ったのだ。ああいう人が恋愛した時が一番怖いと。早くもそれが実証されそうだ。
「どうしたらいいんだ……」
思わず漏れてしまったアレクセイの呟きは、長い長い廊下にかき消けされていった。
〇
『リチャード公爵様とアデリナ公爵令嬢の話を聞いたか?』
『あぁあれね、ある種のロマンスってやつ? 俺には縁がねーわ』
『まー、絵になる美男美女だもんね、うちとは関係ないや』
『二人がもし結婚したら、公開で結婚式をしてくれないかなぁ』
『馬車で首都を行進とか?』
『あれって大公家の特権でしょ? 特例が出たら伝説じゃん』
――別邸に帰るまでに、数え切れぬほどのそんな噂を聞いた。
皮肉好きで悲観的なところがあって、それでも悲壮な決意を胸に隠す我が領民が、その知らせを聞いて珍しく湧きだっていた。
噂なんていうものを、気にしたことはほとんどない。自分の風評被害であろうと、全て聞き流してきた。
自分が回っているいくつかの工房はともかく、その他自分の家の領地の人間に後ろ指をさされていようとも。
信念も決意も失った自分に、出来ることなどないから、無視をした。
――アデリナとリチャードの熱愛疑惑を噂する人間が後を絶たない。
その声をひとつ聞くたびに、腹の底から火が沸き出てきそうな不快感が催される。
奥歯を噛みしめる音と共に、新聞がぐしゃりと握りつぶされた。
「――、」
皮肉にも自分で出したその音で、ヴィクトルはようやく我に返った。
己の身を焼く見知らぬ感情に対して、困惑を禁じえない。
彼女が遠く離れていくのを引き留めたい、だなんていう単純な感情ですらない、もっと混沌に近い激情。
「……君は、一体、何故……」
力の入らない声が、小さく漏れ出る。
彼女が初めてファンドーリン公爵領に来た時の出来事や、その表情の数々が思い出される。
だけれどそれら全ては思い出の中で、目の前の現実は新聞にはっきりと写されている。あれが幻想に思えるほどに。
「……何か、考えがあるのだろう」
そうだ。彼女は聡明な少女で、常に前向きな思考をする人間だ。
今回のことも、訳あってのことに違いない。たかが写真一枚で猜疑心を募らせては、理不尽というものだろう。
彼女が、帰ってきたら。
帰ってきたら、色々聞いたらいい。その時には、いつもの輝く笑顔で『悪だくみ』の内容を語ってくれるだろう。
淀んだ感情を吐き出すように、深いため息を一つ。
ヴィクトルは新聞紙を横に置いて、自身の仕事を再開したのだった。




