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第一章41 『――おまえの手を取る』

 恭しく一礼する事務員ニコライの表情は努めて冷静さを保とうとしていたが、アデリナにはその隠しきれない焦燥感が伝わってきた。

 ファンドーリンからの、情報。

 セリーナの態度と併せて考えると、良い報告ではないことは容易に想像がつく。

 

 もしかしたら、アデリナを魔物討伐に赴くように誘導したのは、セリーナかリチャードだったのかもしれない。

 身の回りの全てが陰謀のように感じられて、アデリナは返事もできずに立ち尽くしたままでいた。

 マリアの心配が伝わってくるけれど、気の利いたことが言えない。

 そもそも、声が出ない。


「セリーナ・ファンドーリン公爵より、一方的な同盟破棄の宣言がなされました。加えて、ホーネット公爵家がカレリナ公爵家との貿易路を完全に遮断し、両公爵家の『軍事同盟領』と『植民地』もカレリナ公爵家との交易断絶を宣告しております」


「――!」


 重力が何倍にもなって圧しかかってくるような、巨大な錘に潰されるかのような感覚に、アデリナは息を呑んだ。

 八方塞がり。四面楚歌。そういう言葉が、あまりにも相応しい。


(セリーナとリチャードが固く手を組んだ……。少なくとも表向きには険悪だったのに。二人で連合してわたし達を倒しに来たの? 水面下で利益を手に入れていた彼らは、その表裏的な関係性を重んじていたはず。それを捨ててでも、わたし達の首を絞めたいの?)


 ブレスレットのこと、黒魔術のことを暴露したわけでもない。貴族たちに取り入ってホーネット公爵家の勢力圏を崩そうともしていない。ファンドーリンにとって不利益になる行為も、しなかった。

 ――だが、極限まで敵対しないようにと講じた策も、リチャード達の前では無意味だったようだ。


(戦争になる可能性を選んでまで、わたしを潰したいの? それとも、他の理由があるの? 分からない。分からないけど……何とかしないと、カレリナが……)


 カレリナ公爵家は、経済においては各貴族とかなりの付き合いがある。そもそも肥沃な大地を持つカレリナの生産高はグラナート全体で見てもけた違いなので、その貿易と取引は『世界唯一の国家』を維持するためにも必要不可欠なはずだった。

 その存続の危機の可能性があるのも恐ろしいが、カレリナにとってもこの交易は領地繁栄に非常に大切なものだったのだ。


 ファンドーリンとホーネット。両公爵家の勢力範囲は広く、よってカレリナも彼らと最も多くの取引をしている。

 それが一気に手を引き、貿易路を遮断し、同盟も終焉するということは。

 ――世界からカレリナが完全に孤立されるということに他ならない。


(もちろん、内循環はできる。でも、そうしたら『繁栄』とは言えなくなる。細々と暮らすような生活を、わたしの領民にさせてたまるものか)


 策を、策を講じる必要がある。

 戦争を起こさずに、セリーナとリチャードを倒し、黒魔術の陰謀を暴き惨劇を回避する策を。例え四面楚歌であっても。

 この手には、幾千万もの人々の命と、これからの幾億の人々の未来が、握られているのだから。


(両公爵家が接近しているままでは、八方塞がり。――まずはセリーナを弾劾し、リチャードの最大の支持勢力を消すこと。彼に、わたしの目論見を気付かれずに。もしくは、)


 一拍おいてから、アデリナは考えを繋ぐ。

 一度目の人生と、二度目の人生を得た後の数ヶ月。その全ての経験をひっくるめて、たった一つ、道があるとするなら。


(――気付かれていても、どうにもできないようにすること)


 考えていた、ことがある。

 それは、諸刃の剣と言ってもいい策だった。

 けれど自分の心は決して納得することのできない下策でもあった。だけれども、恐らくは正解の選択肢だ。

 他人を動かすのに必要なもの。それは――、信用、もしくは好感度。

 

 友達だから。味方だから。好きだから。

 そんな感情的なものを理由に、人間は自らの規律に背いた行動をとることが、ある。非理性的になることだって。

 その『心』さえ掌握の内にあれば、事はもっと単純になる。

 関係値なしにそれができるのが黒魔術であるわけだが、当然アデリナがそれをするわけではない。


「――」


 戦争が起こらずに済んで、黒魔術の災禍を防ぐことができて、敵を全員倒すことができて、みんなが惨殺されないで済む選択肢。

 それは――、ある。ならば、選ばなくてはならない。

 例え、その代償がアデリナ自身にとってどれだけ大きくても。

 義務がある。幾千万の命を守る義務がある。自分の領地にそう約束し、その地に身と心を捧げて、この世で最もそれを優先するものと誓ったのだ。


 それを守れるなら、どんな大罪も背負おう。喜んで地獄に堕ちよう。どんな非難も罵詈雑言も、甘んじて受け入れよう。


「――」


 例えその選択が、その選択が――、


 自分の決意を裏切り、

 自分の覚悟を汚し、

 自分の矜持を覆し、

 自分の言葉を騙り、

 自分の栄光を捨て、

 自分の言ったこと、したこと、考えたこと、

 自分を示すもの、自分が大事にしたもの、自分が愛したもの、

 その全てを壊し、乱し、演じ、偽り、成り下がり、背いて嫌って消してしまおうとも。


 選べ。

 選べ、選べ、選べ。

 

 そうでないと、そうでないと――。


「――アデリナちゃん?」


 マリアの鈴を転がしたような声が、地獄で叩き潰されかけていたアデリナの精神を掘り起こした。

 見れば、事務員もマリアも、こちらを憂うような表情で顔色を窺っている。

 アデリナの家族。友人。そして領地の人々。

 ファンドーリンで出会った人たち。グラナート大公家の人たち。今まで出会った、様々な人たちの生活の様相が、頭の中を早送りで横切っていく。


 選べ。

 この葛藤こそが、おかしいのだ。

 この身は人を導かねばならない。そのためには、憂慮や遠慮などの感情があってはならないのだ。もっと理性的に、論理的に。

 この指が指し示す道は、必ず正しい方向でなくてはならない。

 

 選べ。

 未来を生きる先の人々を祝福するために。

 この世界を、――救うために。


「――ホーネット公爵家に連絡をして。ホーネット領を訪問する、と」




第一章終了です。

第一章は、全て先の章のための伏線です。

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