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第一章35 『駐在人の不穏な就任』

 リーリアとの会合の後、宴会シーズンが終わらぬうちにカレリナ公爵家一行は帰宅のための列車に乗った。

 多くの業務は首都にいる間もできるが、ユリアーナから届く資料の多さは公爵領の多忙をこれ以上なく示していた。

 このままでは、現場第一線を張るユリアーナの仕事量がとんでもないことになる。


「……でも、この数ヶ月だけで既に同盟の効果は出てるね」


 貿易の促進と技術交流。

 同盟条約でそれらを重点的に推し進めることとして、セリーナと合意した。ファンドーリン側は軍事的な領域以外は積極的に合作するつもりのようだったため、すんなりと通った。

 この数ヶ月でも、ユリアーナからの資料を見るに大きな成果を得られたようだ。


『お姉様、カレリナの工業生産は爆上がりです。完全な生産体系が厳密な規格のもとで続々建立されていっています。更に今までファンドーリンとホーネットの独壇場だった精密機械や先端技術の方も、凄いことになっているんですよ』


 ユリアーナから届いた手紙には、各所から興奮が滲んでいる。

 何せ、同盟の成果はあまりに明確だったのだから。


 ホーネットの反対がないことを確かめたであろうセリーナは、ファンドーリンの利益のためにむしろ同盟条約の履行に力を入れた。

 糧食や軽工業生産物など、ファンドーリンでは自給率の低いものをカレリナから獲得するため、精密機械の輸出や先端技術の譲渡までしてくれている。


『今まで開発が難しかった精密機械や先端技術は、ファンドーリンの技術提供や専門家の方がいらしてくれたことで大規模に推進されています! さすがはお姉様のご慧眼ですね!』


「――」


 カレリナとファンドーリンの底力は、確かに高められている。だが、満足のいく水準とはとても言い難い。

 そもそも、頭がセリーナである時点で、作戦の実行には困難が伴う。

 リチャードを崩す作戦の前に、セリーナは引きずり降ろされている必要があった。彼女が公爵のままでは、ファンドーリンとカレリナの強固な合作は叶わないし、そもそもあの女は親ホーネットだし。


 今のままでは強化されたファンドーリンが、今度はカレリナの敵になって作戦大失敗ということもありうる。


(黒魔術の件があれば、あの女を引きずり降ろすには十分。でも――、あれは、間違いなくセリーナだけの企みじゃない)


 黒魔術のことで彼女を糾弾すれば、ファンドーリンの領民と元老院の両方で弾劾することは当然可能だ。

 だが――、もっと有力な人間が後ろに付いていたら?

 リーリアの話を聞いて、そして前回の人生も入れて、アデリナは確信を持った。

 明らかな罪状があの女にあっても、絶対に引きずり降ろせない。


(リチャード――、おまえは一体、この世界に何をするつもりなの?)


 ぎりり、とアデリナは奥歯を強く噛みしめる。

 カレリナは独自の勢力を守る存在として、グラナートで巨大な存在感を放っている。でも、それだけ。

 グラナートの諸勢力との関りは浅く、当然利益の共有もしていない。


 国家の中枢で様々な勢力と利益と権謀の深い付き合いをしているホーネット公爵家と比べたら、カレリナはいつだって蚊帳の外。

 要は遠くの有名人と自分の界隈のリーダーで比べた時に、どちらに従うか、という話だ。

 ――彼らはこの話を隠蔽し穏便に終わらせようとするだろう。


「……お嬢様」


「ん?」


「つきました」


 珍しく気まずそうに声をかけてきたレナートが、列車の出口を指さしてそう言った。見れば、とっくに列車は止まっている。


 ――宴会の後、イリヤ達はカレリナに、アデリナだけはそのままファンドーリンに直行することにした。

 既にセリーナには通知をし承認も貰っているが、彼女が帰って来ないうちに駐在人として就任しておきたかったのだ。


 新たな事実の発覚と計画の変動を悟ったアデリナは、この間恐らくずっと難しい顔をしていたのだろう。

 レナートも、マリアもエリカも、声をかけづらそうにしている。

 申し訳ない。でも、笑顔を張り付ける気力もない。


「あ……そっか。ごめん、レナート。三人とも、行こう」


 セリーナと、リチャード。

 そしてカレリナとファンドーリンとホーネットの三公爵家。

 さらには、このグラナート共和国。


 その未来が今や、自分ひとりの決策次第となっているやもしれない。


 アデリナは自分が、そんなに頭の良くない人間であることを知っている。

 ――でも、逃げないことを選んだ。


 今回は、失敗しない。



 『駐ファンドーリン カレリナ事務館』では、既に多くの事務員がアデリナを出迎えに外で待機していた。

 中に入るとすぐに、ファンドーリン側の人間が就任式を進めてくれた。

 アデリナと共に来たカレリナ公爵領の事務員たちも、かなり格式高い接待を受けている。


 それを横目でにらみながら、アデリナの思考はなおも深く沈んでいた。


(セリーナも一筋縄ではいかないってことね。リチャードに平伏しつつ、自分が頂点に立とうとしている。カレリナとの交流はファンドーリンの底力を引き上げる。もしかしたらあわよくばホーネット公爵家の勢力をひっくり返そうと思っているのかもしれない)


 まさか本気で公爵家当主がライバルを相手に無条件に傾倒するはずがあるまい。前回の様子を見ても、セリーナは自身が覇権を掴み取りたかったはずだ。

 だから――、この同盟の推進を、リチャードの制限付き恩恵を受けて生きるより価値のあるものと判断したのかもしれない。


(でも、ある意味チャンス。これでリチャードがセリーナに不信感を抱いたら……両者の対立が加速する。そこを、狙って……)


「カレリナ代表、一言お願いします!」


「――」


 自身の考えの奥深くに沈んでいたアデリナを、記者のひとりの声が現実に呼び戻した。

 判子の受け渡しやスタッフの紹介など、いわゆる『着任儀式』というものが自分の目の前で繰り広げられている。

 記者の質問や事務員達の口上をそこそこでやり過ごしつつ、アデリナは先ほどの思考を回復させる。


(同盟を維持しつつ、セリーナを弾劾して、先生を当主に据える。リチャードとの直接対決を避けて? それが本当に、可能なの? それに今、ホーネット公爵家がどんな考えでいるかも分からない。二人はどんなふうに繋がっているの? どう動くのが正解なの?)


 前回の人生でも、カレリナ公爵家はその無関心さゆえに墜落したと言っても間違いではない。

 唯一黒魔術が分かるはずのイリヤが、貴族の中枢で起こっている異常を察知できなかったことからも、それが分かる。

 イリヤの前で媒介を付けないように貴族たちが言われていたのか、それとも彼本人もいつの間にか黒魔術の侵食を受けていたのか。


 それはもう、知る由がない。

 アデリナにできるのは、何代にもわたって続いてきたカレリナの在り方を、根本から変えることだ。

 平和主義だからと言って、理不尽と覇権の前で沈黙を貫くものか。


(できるかできないかじゃない。――やらなくちゃ。わたしの背後にあるのは……幾千万もの民衆たちなのだから。絶対に、彼らを守り切ってみせる)


 ――例え、どんな手を使ってでも。


 その強い決意と共に、中心に立つアデリナの毅然とした姿を、興奮気味な記者たちがその撮影機に撮っていく。

 輝かしい日々の水面下で何が起こっているか――、誰も、知らないでいる。

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