第一章34幕間 『ヒロインは真実が知りたい』
――宴会シーズンの終盤。
既にカレリナの威光を知らしめたアデリナを初めとするカレリナ公爵家は、もうあまり各活動に出席しないようになっていた。
あまり顔を出しすぎると、新鮮味が薄れて注目度が下がるのだ。
ただ、カレリナ家にすり寄ろうと、別荘に訪問希望の手紙を出す貴族たちは後を絶たない。もちろん、全部拒否しているが。
――予約を取らずに公爵家に突入した、その少女を除いて。
「……」
「……」
客間では、アデリナの対面に少女が居心地悪そうに座っている。
長い沈黙の末に、少女はついにアデリナと目を合わせた。
桃色の髪と桃色の瞳。ふわふわとした髪。横髪は両側ともふんわり結ばれており、後ろ髪は首の近くで緩く二つ結びにされている。
誰もが愛し傾倒する、絶対的存在にして聖女であり、ゲームの『ヒロイン』。
リーリア・アヴェリナが、悪役令嬢たるアデリナを突撃訪問していた。
「あたしの……手紙。あたしのために、応じなかったんだって、知ってます」
「そう。それならどうして、謹慎期間に家を抜け出してまで首都に来たの? 見つかったら、とんでもないことでしょう」
「……ずっと、何かがおかしいと思っていたんです」
ぎこちなさそうな表情をしながら、リーリアがぽつりぽつりと訴える。
ヒロインとしての明るく可愛らしい雰囲気と振る舞いは、今や見る影もなくなっていた。
よく見れば、その目には深い隈が刻まれ、手はかすかに震えている。
「アルに偶然会った事も、あたしの周りにどんどん人が増えていったことも、ずっと変だと思ってて。口から出る言葉も、湧いて来る感情も、あたしのものじゃないみたいで。怖いんです、なんかずっと、誰かに操られてるみたいで、怖くて……! でも、知りたくて!」
その言葉を聞いて、アデリナがわずかに目を見張る。ヒロインが『ヒロイン』であることに疑問を持ったということか。
それとも――、意図的に、彼女と彼女の周りの関係が操作されていたのか。
もしもそうなら、リーリアの言葉にできない自分と周りの意志によらない言動の気持ち悪さは、アデリナには理解ができる。
何故なら。
「みんなみんな、のっぺらしてたの、変だったの、でもあの日のあなただけはそうじゃなかったんです。だからあたしの知りたいことがわかる人が居るなら、きっとあなたしかいないと思って、それで」
もしもリーリアやアルトゥール達まで「そう」だったのだとしたら、彼女が何枚も手紙を送ってアデリナに会おうとした理由は理解ができる。
ただ本当にその憶測が正しかったとしたら――、一体どれだけ大きな陰謀が、渦巻いているというのだろうか。
「教えて欲しいんです、あたしは、一体何だったんですか? 一体、何が起きていたんですか?」
何が、起きていたのか。自分たちは、一体何だったのか。
それが知りたいのは、アデリナの方だった。それが理由で、一度全てを失ったのだから。
ただ、運よくリーリアよりもそれを知るのが早かっただけのこと。
しかしそれはリーリアが真実を知っても良いということにはならない。
『黒魔術』。それは禁忌の術であり、本来この世に二度と現れるはずのないもの。それが高位貴族の間で操作され取引され広範囲に拡散されているという情報は、この世界に絶大な混乱をもたらすだろう。
作戦もなしに広めてしまったら、どうなるか。混乱、憤怒、恐怖――、果てには抑止のできぬ秩序の崩壊が起こり、戦争になることだってあり得る。
結局はそれぞれ明かせない真実がある訳だ。
でも知らないと言って有耶無耶にする選択肢は、できれば取りたくなかった。
リーリアの焦燥感を、彼女は誰よりも知っているから。
「……貴女の言う通り、大体何が起こっていたのか、わたしには分かると思う。大きな陰謀があることも予想がつくけど、悪いけどわたしの方も全知全能じゃないの、あなたがどう利用されていたかまでは知らないよ」
「そうっ……なん、ですか……ありがとう、ございます」
リーリアの方も、アデリナの回答が真摯なものであることを感じ取ったようだ。その場をやり過ごすような答えでは、明らかにない。
だが、隠しているものがあるとはいえ、語ったことは全て真実だ。
セリーナとリチャードが世界を牛耳ろうとしている。そのこと自体は分かるが、それがどういう流れで、一体どういう風に何をしようとしているか、正直なところ一切分からない。
陰謀で勝てないから、正面突破ができるように同盟を結んだのだ。
「それでも、こちらでもきちんと調べている。――あなたの選択は正解だよ、だけど最低でも謹慎期間が終わるまで、これ以上動いたらいけない。君たちの家には自分を守るだけの力が無いからね」
「それは……そうですね。無くなってしまった、という方が正しいですね……。守る力どころか、あたしの幸せも、もうありません……」
「うん?」
自嘲気味に笑うリーリアの言葉に、アデリナはふと首を傾げた。
純粋に、先ほどの言葉は男爵家の力で公爵家に対抗するのは難しい、という意味で語ったのだ。
リーリアはすでに、自分の幸福を見つけているはずだ。
『学園』に通っていた時から、アルトゥールとリーリアは常時共に居たし、見ている方が恥ずかしい言動も多々あった。
彼はもう第二元老ではないが、二人は愛し合っていて、この窮地を寄り添い合うことでむしろ残った幸せを確かめ合える――、とアデリナは考えていたのだが。
「アルトゥールと一緒になるんじゃないの? 第二元老から降ろされても、たぶんそれなりの職位は貰えるよ。名誉ナントカとかかもしれないけど」
「いえ、婚約は破棄します……それじゃあもう、あたしは幸せになれないので」
「はあ……愛してるんじゃないの?」
「愛し合っているからと言って、幸せになれる確証はどこにあるんですか? そんなものより、苦しまない確証のもらえる結婚をした方が、いいじゃないですか……」
唐突なリーリアの前時代的結婚観に、アデリナは二の句が継げなくなった。グラナートが共和国になる前は、女性の地位はすこぶる低く、こうした考え方が主流だったと勉強したことがある。
ただ、今も競争心の強い下位貴族たちはそういった心性が残存しているとも聞いたことがある。実際に目にしてしまった。
リーリアはそういう教育を受けてきたのだろう、ということが明らかに分かる。
権力を持つ金持ちの男との結婚こそが幸せ、みたいな。
ファンドーリンでヴィクトルの先進的な思考を頭いっぱいに詰めて帰ってきたからか、急な時代退行についていけなかった。
「アルは第一元老どころか、第二元老にもなれないんでしょう? 愛なんていう変動的なものに頼って幸せになろうなんて、あたしには無理です。信用できない。ずっと幸せっていう保証が、ないじゃないですか……」
「うーん、権力者の女になっても、幸せじゃないかもしれないじゃん? 気持ちがゼロなのに一緒に過ごさないといけないし、愛無しでお金だけの関係って心も段々冷えて行かない? 物質的なものは満たされても、心は満たされないかもよ」
金と権力を誰かの庇護下にいることによって手に入れて、それでどうするか。誰かに施されたもので、自分の権勢を見せびらかすこと以外に目的があるのか。
愛のない、利益と承認欲求だけの空虚な世界は、幸せと呼べるのか。
――ただ、不確定な愛を一生信じて歩んでいくのは、確かにある程度の勇気が必要なのかもしれない。
「本当の愛なんて、あるんですか? 全部お金とか権力とか、顔とかでしょう。それなら、それをいっぱい持っている人と結婚したら、愛以外は全てあたしのものです。それだけは確証を貰えるんです。女の子が成功するには、それしかないじゃないですか……」
「ほあー……。うん。そういう意見も、あっていいと思うよ。うん。ただね、リーリアさん」
「はい……」
「幸せの形は結婚だけじゃない。今は結婚、しないっていう手もある。そこから離れてみて初めて、気付くこともあるんじゃない? どうせ破棄するなら、恋愛以外の幸せも考えてみたらどうかな」
「――」
恋愛以外の、幸せ?
そんなことは考えたこともない、と言うように、リーリアがぽつりとこぼす。理解のできない外国語でも復唱しているかのようだ。
愛や恋や結婚という未来ばかりを見ていると、視点も狭まりがちだ。
幸せは、人それぞれ。大自然の中を駆け巡り旅行する事かもしれないし、友人と事業をすることかもしれないし、何かの手芸を極めた人生かもしれないし、それこそ愛に生きるのもそうだ。
それは、籠に閉じ込められているままでは、追及することのできないものだ。
「世界を見てみて、一周回って帰ってきて、その考え方のままだったら、誰も何も言うことはないわ。そうでしょ、リーリアさん」
「……」
「見てみたくない? この広くて狭い世界に、何があるのか」
「見たい……」
「なら、見ておいで、リーリアさん。何にも束縛されずに」
アデリナは、一度もリーリアを『聖女』とは呼ばなかった。
聖女であることがお前の価値で、結婚によりそれはもっと高められ、それは一家の幸福につながると――、そう、教えられてきた。
でも目の前の公爵令嬢は、リーリアが聖女であることなどまるで気にした素振りがない。ただ『リーリア』という少女本人を見て、真摯に語り掛けている。
そういう世界が、いま、ここに在る。生き方は、ひとつではなかった。
なら、リーリアの信じた世界は。権力者との結婚を幸福と考えるこの心は。自分で選んで、自分で定めたものだったのだろうか?
「まぁ、愛の権化みたいなわたしが言っても説得力がないよねえ……」
けらりと笑って、何でもないことのように呟くアデリナ。
そんな彼女を見つめるリーリアの瞳に、一抹の光が宿った。
幸せとは――、何だろう?




