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第一章33 『転換点』

「……それで、その後はどうなったんですか?」


 真っ青な顔をしたマリアが、茶会の件の話の続きを求める。例の犯人がどうなったのか、当然気になるのだろう。

 ただ、今回はあまりアデリナ本人が関わっていなかった。意外にも。


「『メイドが公爵令嬢に毒を盛ろうとした』ということに落ち着いた。不祥事も起こらなかったし、セリーナの仕業とも露見しなかった。引き分け……といったところ。でも、こんな簡単な一言の中で、二人も被害者が居る。無視しちゃいけないことよね……」


 被害者とはもちろん、セリーナによって良い様に使われ罪を擦り付けられたメイド。そして毒を盛られたが全てなかったことになったヴィクトルの二人だ。

 アレクセイとアデリナの二人でこの件は全力で処理したが、今語られた以上の結果は手に入れられなかった。

 結局、真実は闇に葬られることになる。本物の悪は、摘発されないまま。


「それは胸糞がわる――、ァ」


 もともと正義感の強いエリカが義憤に駆られて批判の声を上げたが、その声がふと中断された。

 ――最高会議場の廊下。アデリナ一行の対面から、セリーナ集団が歩いて来るのが見えた。集団と言いつつ、ラヴィルとアレクセイが後ろについているだけなのだが。

 明らかに、機嫌が悪い。その企みを、二度もアデリナに折られたのだから。


「あら、セリ――」


「ごきげんよう、カレリナ外務代表。でも申し訳ないけれど、私今は急いでいるの」


「――!」


 すれ違いざまにアデリナが彼女に声をかけようとしたが、それを切るようにして、笑みを張り付けても全く隠せない苛立ちのこもった言葉が放たれる。

 そしてそのままセリーナは歩き去る。

 ご丁寧に、わざとアデリナに肩をぶつけて。


「――はぁ!? 小学生かよ!」


 かつかつとハイヒールの音を響かせて去っていくセリーナ集団の後姿を睨みつけ、エリカが怒りをみなぎらせる。

 確かに、表情管理もずさんだったし、肩をぶつける行為は子供のようだ。

 何度も思っていることだが、頭が緩すぎる。ヴィクトルの悪評を基盤に築いた人脈なしでは、セリーナは破滅の運命しかないだろう。


「ああいう人だったんだ、セリーナ……実際に見ると、話に聞いてたのよりもやばいね……」


「まあね。しょうがないよ、あそこは……ネジが外れているどころか、最初から無いからね」


 ドン引きの表情のマリア。もうすでに何度ドン引いたか分からないアデリナは、無の表情だ。心中で殺意は湧いているが。


「言い得て妙――、あっ、アデリナちゃん! ほら、ほら!」


「ん? ぁ……」


 頷くマリアの視界に、ふと人影が映る。

 彼女が興奮気味に指さした方向を見て、アデリナは息を呑んだ。


「……先生、いらしてたんですか……」


「さすがに、最高会議場は入れる。同行はできないが」


 雪の如き白髪と朝焼けを閉じ込めたかのような暖かな金の瞳。厳冬のような冷徹な雰囲気を纏う彼は、アデリナの意中の人ヴィクトル・ファンドーリンだった。

 立っているだけで絵になる二人を応援しつつ、空気の読める女マリアとエリカはきゃあきゃあ盛り上がりながら退散した。


「公爵令嬢……話が」


「ふたりきりだからアデリナって呼んでもいいんですよ。言うまでお話、聞きません」


 そう言って腕を組んでぷいっと顔を背けるアデリナ。やや呆れたような表情を浮かべたヴィクトル。

 長い沈黙が下りた結果――、いつもの通り、やはり彼が押し負けた。


「……アデリナ」


「わあい!」


「先ほど、何かされなかったか?」


「セリーナにですか? 何も。肩をぶつけられましたけど。あの女幼児退行でもしたんですか? 逆に先生が何かされていないか心配なのですが……」


「あると言えばあるが……それ程でもない。それより、話なんだが」


 話が切り替わったことに、アデリナは一瞬ムッとする。セリーナが「何かした」のなら、当然ろくでもないことだ。

 何らかの苦しみは与えられたであろうに、相変わらずの自分への無関心さ。

 全てが終わったら必ず自分を大事にしてもらう、とアデリナは心に誓った。


「アレは良からぬことを企んでいる。気を付けろ」


「そうなんですか。いつものことだと思いますけれど……虎穴に入らずんば虎子を得ずです。わたし今度、ファンドーリンにカレリナ代表として駐在しますよ」


「は」


 アデリナの言葉に、ヴィクトルは絶句する。確かにセリーナが次の駐在人が誰になるかを気にしていたが、まさか彼女が来ることになるとは彼も予想外だった。

 そもそも彼女をセリーナから遠ざけるために話しかけたのに、これでは全くの無意味になってしまうではないか。

 二の句が継げぬ彼を見て、アデリナは満足そうに微笑んだ。


「危険は分かっています。でもだからこそです。一緒に戦いましょう。わたし達、もう同盟を組んだんですよ?」


「……そう、か」


 同盟。つまりは共同戦線。もっと平たく言えば、それは「味方」。

 アレクセイでさえ、ヴィクトルの完全な味方にはなれない。そして味方のいない人間は、どんな理不尽も甘んじて受け入れる以外にない。

 ――味方の存在は、その深淵を抜け出すための戦いを「してもいい」最低限の条件だ。


「共に……戦ってくれるのか」


「はい! 第一線で疾走します! いつか山のてっぺんに旗を差せるように……! なので、むしろ戦わせてください」


「……そうか」


 掌で、心臓を押さえる。

 でもそれはもう、変化と苦しみから己の心を守るための動作ではない。この胸に宿る暖かさを、確かに感じ取るための所作だ。


 ――ヴィクトル・ファンドーリンは、アデリナ・カレリナの手を取ることにした。



 カレリナ公爵家は、グラナート共和国の中でも特別だ。唯一治外法権を享受しており、政治経済文化など多方面で多大な影響力をもたらしている。

 その家訓が中立と穏健でなければ、大公家や他ふたつの公爵家はとっくに彼らの威光の前にひれ伏していただろう。

 

 そのことによって起こる対立と争いを避けるために、カレリナ公爵家は平和主義を貫いて来たともいえる。

 だけれど、その特殊性は一挙手一投足のたびに世界の目を否応なしに引き付ける力を持つ。

 ――たとえば、今のように。


「君は本当に綺麗だよ……いつでもオレは君に驚かされる」


 例えるなら、深淵と地獄のような社交界で、惑わされず動じず独自に輝くカレリナ公爵家は世界を照らす唯一の光たる太陽のような存在だ。

 その中でも、社交界のしがらみや家系同士のもつれ合いや陰謀を切り裂くように動くアデリナの光は、一層強く見える。


 上階のベランダ。

 ワインを手にした青年は、そこから美しい黒髪の少女を見下ろしていた。

 今回も相変わらず、少女は宴会に参加している。カレリナの家系としては珍しい積極性だ。

 もともとアルトゥールとの婚約も、カレリナを前面に押し出して対立を調停させることを試みたものだから、変では当然ないのだが……。 


「むしろ君を手に入れるチャンスだと思っていたが……やはり君はさすがだ、オレの予想を上回ってくる。ますます欲しいが……あまり光りすぎると、オレも黙っちゃいられないんだよ」


 カレリナの動き――、というよりアデリナの動きは今や世界を震撼させている。

 その光は、二大公爵家にも当然及んでいた。二大公爵家からすれば、それはその地位を揺るがされる由々しき事態なのだ。

 ――まあ、当主でありながら、あの女は何も気が付いていないようだが。


「悪いね、アデリナ。オレにもやるべきことがある。――カレリナは、繁栄しているままにはしておけない」


 飄々とした笑みを浮かべていた青年の表情が、ひゅっと引き締められる。その目に迸る激情は、無表情の中でも隠し切れない。

 鬼火の如く不気味に青々と輝く瞳が、煌びやかな宴会場を俯瞰する。

 手に力が入ったせいか、ワインを入れたグラスが破砕した。


「――君は、オレの手を取るべきだったんだ、アデリナ」


 口角を三日月のように吊り上げて、青年は笑う。

 腕がワインにまみれるのも気にせず、その目は黒髪の少女を捉えて離さない。

 全身から込み上がる底深い感情が、宴会を飲み込んでしまえるかのようだ。


「どうするの? リチャード」


 強気な女の声が、背後から青年――、リチャード・ホーネットに尋ねる。

 リチャードは彼女を振り向きもせず、フン、と鼻を鳴らした。


「――終わりにするんだよ。このおままごとをな」


 地の底から這いあがるような低い声で、リチャードはそう語る。

 ――しかし彼の言葉は、宴会の喧騒にかき消されて誰の耳に届くこともなかった。

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